1: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2014/12/26(金) 21:30:42.92 ID:???0.net

2014年夏。東京・国分寺――。

再開発のための取り壊し工事で広大な空き地と化した北口の駅前周辺は、かつてのうら寂しい風俗街の裏路地に日の光を差し込ませ、どこにでもある健全な通りのように思える。
そして、あの暗黒の闇にどっぷりと浸かり一条の光すら見出せなかったベイスターズも、ここ最近の戦いを見ているとようやく何かが変わり始めた。
そんな気配らしき何かがうっすらと漂っているような気がしなくもなくもない。そんな夏。

わたりさん! 横浜が! ベイスターズが3カ月連続で勝ち越しを決めました! あの山口が先発に転向して月間MVPを取りました! 
井納が10勝一番乗りを果たし、筒香がやっと覚醒を果たしました。ベイスターズが強くなったような……いや、確実に強くなっていますよ!

やっとそんなことを言える日が来た。上気しながら店へと続く階段を駆け上がり、ドアを開ける。
そこには、元野球選手の店を彷彿とさせないシックな店内と、鼻腔を刺激するもつ鍋の芳香、厨房には口の悪い192cmのオカピな鍋屋主人がいて、
筆者はいつものように「どうせ最下位だろ」と一蹴される……はずだった。

「もつ鍋わたり」だったその場所は、何もないもぬけの空になっていた。

意味がわからない。混乱した筆者は思わずつぶやいた。

も、もつが……ないぞう。

物好きが暴言を吐かれに集まる、不思議な店。

元横浜ベイスターズの投手、中野渡進氏が営むもつ鍋屋「もつ鍋わたり」が、何の前触れもなく閉店したのは、今年の6月30日のことだった。
天性の口の悪さが災いし、当時の横浜球団と喧嘩してわずか4年でプロ野球界を放り出された中野渡氏が、
野球界への反発を以て“プロ野球選手”の名に頼らず、味だけで勝負しようと弟の健さんと同店をオープンしたのが2004年。
以来、自ら厨房に立ち、兄弟で作り上げたもつ鍋は、界隈で知る人ぞ知る名店と称されるまで成長すると同時に、
現役のプロ野球選手や、物好きな野球ファンが暴言を吐かれに集まってくる不思議な店としても名を馳せた

http://number.bunshun.jp/articles/-/821373
2014/08/04 16:30


3: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2014/12/26(金) 21:31:55.63 ID:???0.net

「もつ鍋わたり」閉店の真相を追う。

開店当時から同店でアルバイトをしていた、中野渡氏とは中学からの同級生でもある池尻亜紀子さんは振り返る。

「開店当初は野球を無理に遠ざけようとしていたところもあって、お店に野球ファンのお客さんが来ても、
中野渡は厨房から出てこないで黙々と仕事をしていましたけど、ここ数年は変わりましたね。

野球ファンのお客さんにも接客に出たり、『現役の頃は知る由もなかったけど、ああいうファンの人たちに俺たちは支えられてきたんだ。
現役が終わってもこうして店にまで来てくれるなんて有難いことだよ。少しでも恩返ししないとな』なんて殊勝なセリフまで言うようになっていましたからね」

店主の意識も徐々に変わり、すべてがうまく回っているように思えていた中、突然誰に告げることなく閉店してしまったのだ。
閉店直前まで、店は連日連夜予約で埋まる大盛況だったのである。何事もなければ今年の10月20日には店主が楽しみにしていた
“10周年”を盛大に迎えるはずだった。

なのに、中野渡進はまたしても表舞台から忽然と姿を消してしまった。
11年前の秋、スポーツ新聞に「嫌いなコーチに『家に火がついたら僕のせいですから現行犯で捕まえてください』と伝えました」という捨て台詞を残して野球界から消えたあの時と同じように。

ほとんどの人に知らせないまま行なわれたこの不可解な閉店劇を巡り、当然様々な憶測が流れることになる。
谷繁監督の後を追ってナゴヤドームに店を出すのでは……、駅前再開発で立ち退きを強制されたのでは……、
4月に横浜でコンビニ強盗をして捕まった中野渡はやはりこっちか……、弟が6月に独立して気が抜けたのでは……、
さらに界隈の飲食店では鍋のレシピを巡っての血で血を洗う抗争が繰り広げられている等々、噂が絶えない「もつ鍋わたり」。関係者の証言を元に、その真相に迫りたい。

金城龍彦「いやぁぁ、ショックでしたよ」

「突然すぎるよね。店を閉めるなんてまったく思っていなかったから……いやぁぁ、ショックでしたよ」

7月、横浜スタジアム。
毎年、オープン戦と交流戦には必ずもつ鍋わたりを訪れていた、横浜ベイスターズの同級生、金城龍彦はそう言って唇を噛んだ。


4: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2014/12/26(金) 21:33:11.64 ID:???0.net

「わたりはいつだって励ましてくれるんですよ」

金城が閉店の話を聞いたのは6月2日、西武ドームへの移動日の夜。山崎憲晴ら後輩を連れてもつ鍋わたりを訪れた時だった。
異変が起きたのは食事の最中。中野渡が他の客を全部帰して「話がしたい」と席に来たという。
その時、「今月で店を閉めようと思っている」とはじめて打ち明けられた金城は、脱力した。

「そりゃあショックでしたよ! 僕らは同級生ですし、プロの世界で一緒にやっていた時もそうだったけど、辞めた後も自分の力で店を成功させてね……

すげぇなって。わたりの存在を励みにしていたところもあるんですよ。

毎年ね、オープン戦で『今年は3割打てるように頑張るよ』って約束するんです。
その年結果がいい時も悪い時も、あいつは励ましてくれてね。うん。わたりはいつだって励ましてくれるんですよ。
僕がここまでやれたのも、わたりをはじめ、みんなが支えてくれたからですよ。
毎年、もつ鍋わたりに行くことが楽しみで、わたりに会って一年でも長く続けられるようにまた頑張ろう……
って思いを新たにしてね。鍋も、店の空間も大好きだったから……うーん。やっぱり、ショックだよ」

藤田太陽「わたりさんを目標にしていた」

話によると、中野渡氏が閉店を決めたのは今年の3月頃だったという。しかし閉店の事実を知らされた人は野球界でも数少ない。

昨年限りで引退した元阪神・西武・ヤクルトの藤田太陽氏もまた閉店後に事実を知らされた一人だった。

「7月になって、久しぶりに店へ行ったらシャッターが閉まっていたんですよ。電話をしたら『やめた』って。
意味が解らないまま、国分寺駅でひとりぽかーんと立ち尽くしましたよ」

藤田氏は現在地元秋田で解説の仕事や野球教室の講師を勤める一方で、
夕方からは都内の焼肉店で朝5時まで時給1000円で働きながら、後日店を持つ為の勉強をしている最中だとか。

「わたりさんにはクビの通告を受けた3回とも、親身になって相談に乗ってもらい本当にお世話になりました。
僕は今、所沢の近辺で店を出店しようかと考えているんです。
10人ぐらいの小さな店で、プロ野球を見ながらプレーの解説ができるような、そういう野球が好きな人たちに向けたお店をできないかなって。
そういう店をやろうと思ったのも、わたりさんの姿に将来の自分を重ねていたことがあるからなんでしょうね。
だから正直、閉店はショックでしたよ。わたりさんを目標にしていたところがありましたから……」




引用元
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1419597042/


5: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2014/12/26(金) 21:34:31.70 ID:???0.net

最後の3カ月は、今まで以上に伸び伸びしていた。

もつ鍋わたりは、地元常連客にとっては痒い所に手が届く気の置けない店でありながら、後輩選手たちの愚痴の捌け口であり、
引退後の相談所という側面もあった。

それでいて、野球ファンにとっても、サインや写真、「ベイスターズはなぜ弱いのか」という質問などのリクエストにも「お客さん、うちは野球の話厳禁なんですけど……」
と毒付きながらも快く応じてくれる店は、やはり得がたき場所であったのだなと偲ばれる。

「いやいや。店を辞めると決めてからの3カ月間はまた違ったみたいですよ」

というのは、6月に独立した弟の健さんに代わって「もつ鍋わたり」に入社したムネさん(仮名)である。

「これまで僕はお客としてお店に顔を出していましたが、その時と比べてもわたりさんから受ける感じは全然違いましたね。
これまでの重圧から解放されたというか、伸び伸びと楽しんでいるというか。

たいして店に来たこともないのに『わたりさん、今度遊びましょうよ』とか、馴れ馴れしいことを言ってくるお客さんに対しても、
『テメェなんて、店が終われば外で会う必要なんてねぇだろ。勘違いしてんじゃねぇ!』なんて一喝していましたし。
ええ。かなり自由に言いたい放題やってましたよ。本人も『やっと楽しめるようになった』と言ってましたしね」

スピーチしようとして、言葉が出ないほどに号泣した夜。

ちなみに元々国分寺住民だった彼は、この春に働いていた大阪から「鍋屋」として生きる決意をし東京出戻りを果たしたのだが、
引越しが終わるまで閉店するという事実を聞かされていなかったのだとか。知らせないにもほどがある。

「いやーびっくりでしたよ。でも、次の新しい仕事でもわたりさんと一緒にできるんで、まぁいいのかなって。もつ鍋わたりは再オープンしないのかって? 
いやいや。ないですって。閉店は弟さんの独立とか、再開発とか関係ないですから。

次は、加工部品製造の仕事をやるんです。わたりさんがプロ野球をクビになった時や、店を出す時も、いろいろと相談に乗ってくれた恩人の方に声を掛けてもらったそうなんです。
『やってみないか?』と聞かれて、何の迷いもなくその場で『やる』と即答したらしいですよ。自分を信頼してくれた恩人の頼みに、何を迷うことがあるのかって。

まぁ……わたりさんらしいですよ。けどまぁ、本人にしかわからないいろんな思いがあるんでしょうけどね。
店を辞めると決めてから一度だけ、その恩人の方の会社で店を貸切りにした時、最後にわたりさんが挨拶をしようとしたら、
何も言葉が話せなくなるほど号泣したんですよ。あんな姿はじめて見ましたわ。この半年で2回転職するハメになった僕もたいがい泣きたいですけどね(笑)」


7: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2014/12/26(金) 21:35:58.59 ID:???0.net

最終日の打ち上げに唯一顔を出したプロ野球関係者は?

「もつ鍋わたり」最後の1カ月は話を聞いてか聞かずか、怒涛の予約で埋まり、連日連夜の大盛況となったという。
そして、最終日。もつ鍋わたりは23時30分にすべての営業を終えた。

「憑き物が落ちたというか、本当にスッキリした顔をされていました。理不尽にクビになって、そこから反骨心で店をはじめて10年。
僕が言うのも生意気ですが、わたりさんは店を終えることで、プロ野球選手としてやっと成仏されたんじゃないかなと思えました」

元ベイスターズの高森勇旗氏は、現役時代に中野渡氏と直接的な繋がりはないものの、十八番の木塚敦志コーチのモノマネが認められ、
中野渡氏とはキズナではなく“キヅカ”で繋がる関係を構築。「もつ鍋わたり」最終日となった6月30日の打ち上げに唯一顔を出したプロ野球関係者となった。

最後の打ち上げに、涙はなかった。

「最終日、仕事が終わって深夜0時頃に国分寺の店に駆け付けた時には、もう店が閉まっていたんです。
聞けば久米川にオープンした弟の健さんのお店にいると言われ、急いで向かうと、アルバイトの人たちと金八先生の卒業式みたいな“贈る言葉”をやっている最中でした。

わたりさんは、ことあるごとに『俺は店なんて向いてなかった』『接客に向いてねぇ』と言っていましたね。
しんみりした空気はなかったですけど、最後の日ということで健さんが気を効かせたのでしょう。
モニターで、木塚さんの引退試合のVTRを流したんです。
わたりさんは、それを眺めながら『キィ………キィ………キィ……』とうわ言のように呟いていました。

あの試合、新井(貴浩)さんが二塁打を打つじゃないですか。案の定『テメェコラ、何打ってやがんだコラ、●●●の×××』とブチギレてしまって……」

その夜、最後のもつ鍋わたりご一行は、夜が明けるまで10年間の思い出を語り尽くしたという。そこには涙なんてない。
あるのは、笑顔と懐かしさと、感謝。そして、久米川のタクシー乗り場でいつまでもいつまでも
木塚コーチのモノマネを強要され続けた高森勇旗の姿であったという。


8: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2014/12/26(金) 21:37:12.95 ID:???0.net

中野渡氏の弟、健さんの店を直撃。

さて、それでは中野渡進本人はどこへ行ってしまったのだろうか。ここまで読んできた読者の方はすでに麻痺しているだろうが、
このコラムはあくまでもNumber。もつ鍋屋の閉店騒ぎの顛末で終わるわけにはいかないのである――。

なんてことを感じたら、西武新宿線・久米川駅。南口の駅前通りを線路沿いに3分歩いた場所に6月10日オープンしたばかりのイタリアン「Dining Amina 彩心和」がオススメ。
ここの店主中野渡健氏は、口の悪い兄とは逆に、癒しの存在としてかつてのもつ鍋わたりに平和と安寧をもたらした甲子園出場経験もあるイケメン好青年。
今回の野次馬は、健さんに兄の行方を聞きながら、最悪代わりにプロ野球前半戦の総括をしてもらおうかと。

あの……“モバ浜”とか言わないんですか?

――すみません。お兄さんが行方不明なので前半戦の総括をしてほしいんですけど。

「え? 僕ですか? うーん……そうですね。素人目で恐縮ではありますが、やっぱり野球界を盛り上げるためにも、
一番優勝から遠ざかっている広島には頑張って欲しいですね。もちろん、ベイスターズにも頑張ってもらいたいですよ」

――あの……“モバ浜”とか言わないんですか?

「モバ……なんですかそれ?」

――申し訳ありませんでした。それはそうと、健さんが独立してお店を出したのは何故なんでしょうか?

「もつ鍋わたりは僕らにとって本当に大事なお店でしたし、なにか不満があったわけでも、辞めたいと思ったわけでもないんです。
ただ僕自身、昔からずっと兄貴に頼りきりで、このまま兄貴に甘えっぱなしでは、この先僕には何にも無くなってしまう、そんな危機感を感じていたんです。

 だから、1年半ほど前に兄貴に『独立したい、勝負させてほしい』という話をしました。兄貴は『応援するぞ。頑張れ』といって泣いて喜んでくれました」

――でも、まさかお兄さんがもつ鍋わたりを閉めるとは思いませんでした……。

「店を閉めると聞いた時は僕も絶句しました。何で上手くいっている店を突然閉めたのか、真意は誰にもわからないし、誰かにわかって欲しいというものじゃないと思います。
店を続けること、閉めて新しいことをはじめること、僕もまた、何が正しいかなんてことはわかりません。

だけど、兄貴が思ったことは正解です。その決断は間違いじゃない。それに兄貴のもつ鍋わたりでの10年は、大袈裟ではなく僕のために生きてくれた10年だったと思うんです。
それをこれから自分のために生きていけるんだと考えると、どういう人になっていくんだろうか……と、物凄く楽しみでもあります」


11: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2014/12/26(金) 21:38:50.65 ID:???0.net

「いますよ。さっきから、向こうの席に……」

――しかし、わたりさんはどこへ行ってしまったのでしょうか。もつ鍋わたりのFacebookには、この店に毎日通うと書いてありましたが。

「いますよ。さっきから、向こうの席に……」

――え、どこですか? あッ!

 キィ……

 キィ……

 キィ……

――すみません。そこのモニターで木塚敦志引退登板を見ているあなたは、中野渡進さんでしょうか?

「うるせぇな。黙ってろ。新井もだけどよ、この場面で木塚を出すオバナ監督もおかしいだろ……」

――なんで周囲に告げずにいきなり店を閉めてしまったんですか? Facebookをやっているなら告知すればよかったのに。アナログですか。

「うるせぇな。ただでさえ健がいなくなって店を回すのが手一杯の状態で、閉店の告知なんてしたら、客が押し寄せて閉店前に物理的にパンクだろ。
常連さんや、お世話になった人たちに報告するだけで手一杯だったんだからな」

――谷繁さんや小宮山さんや野村さんに木塚さん、もつ鍋わたりを「アゲ鍋」と言って愛していた福浦さんたちには報告したんですよね。

「ああ。なかなか言い出せなかったけど、ちゃんと自分の口から報告させてもらったよ。簡単に言えるわけねぇだろ。
現場で戦っている最中の人たちに、俺のことなんてどうだっていい話なんだからよ。

でも、誰一人として反対はされなかった。木塚も賛成してくれたよ。『先輩はすごいや、俺が野球しかやっていない間に2回も新しいことをはじめようとしてる。
俺も頑張りますよ』と言ってくれてさ、西武戦でこっちに来るたび店に寄ってくれるんだよ。

福浦さんも春先にヒサオなんかと何度か来てくれたんだけど、なかなか言い出せなかったんだよな。
そしたら4月になって、開店以来はじめて一人で店に来てくれたんだよな。わざわざ千葉から電車に乗ってさ。

その時にやっと言えたんだ。福浦さんは『……そうか、じゃあこれからは夕方から会えるな。
どこかいい店を探しておいてくれよ』って言ってくれた。意外とみんなすんなり納得してくれたよ。タツだけはいつまでもショック受けていたけどな」


12: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2014/12/26(金) 21:40:21.81 ID:KX7Mf8lM0.net

長ぇよ


13: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2014/12/26(金) 21:40:28.47 ID:???0.net

「俺ははじめて人生の5年先を考えたんだよな」

――店を閉めた直接の理由は、恩人の方から仕事の誘いを受けたことだと聞きましたが。

「理由はひとつじゃねぇよ。ちょうど健が独立して、恩人からの誘いがあって……いろんなタイミングがあったんだよな。

だけど一番はあの人に影響されちまったってことが正直あるよな。
去年の秋、谷繁さんが就任会見で言ってただろう。

『厳しい環境に身を置いて自分自身を成長させたい』『自分で“無理”と思うと、そこで全てが止まってしまう』ってよ。
あの人、43歳で日本一何度も経験して、2000本打って、それでもまだ自分を高めようと勝負している。

男として最高にカッコイイよ。俺はさ、野球をクビになった時、とんでもないパワーがあったんだよな。
人生を賭けて野球をやってきて、やっとプロ野球選手になれた。なのに、クビだ。戦力外だ、あいつは使えねえって。
犯罪者みたいな扱いされてよ、カマしてんじゃねぇよこの野郎ってガムシャラに戦えた。

あの気持ちは黙ってても毎日お客さんが入ってくれる今の環境じゃ持てない。それは別に悪いことじゃねぇよ。
でも、心のどこかにこのままでいいのか……という思いがあった。その時、昔から目の前の打者を全力で打ち取ることしか考えてこなかった俺が、
はじめて人生の5年先を考えたんだよな」

このシリーズ、“加工屋”わたりとして続くかも?

――その結果が加工業という仕事だったと。

「まぁな。もう飲食には戻らねぇよ。俺たち兄弟のもつ鍋は、秋になったら健のこの店で出してくれるみてぇだからな。
俺はまた借金して機械揃えてさ、ものづくりの勉強もゼロからはじめたんだ。

ただ、この仕事は職人的な技術屋の世界だと思っていたんだけどな……毎日毎日、X軸とY軸Z軸やらの計算ばっかりじゃねぇか。知らねぇって。
俺たち、方程式の授業をやっていた頃、死ぬぐらい走ってたんだからよ。わかるわけがねぇんだけど、投げ出すわけにはいかねぇだろ。

寝る間も惜しんで気合と根性とボディランゲージでマスターして、バリバリ金稼いでよ。
いつか、木塚が『コーチ修行に行きたい』と言ったら『メジャー30球団全部見てこい』って行かせてあげられるようになるんだからな、俺は。
だから、当分は野球の与太話をしてる余裕もねぇからな」

――なるほど。もつ鍋わたり閉店の事情はよくわかりました。……ところで、大変ご多忙の折に、貴重なお時間を拝借して誠に申し訳ないんですけど……ベイスターズが好調です。

「…………あぁ!? この期に及んで、まだモバ浜の話をしなきゃなんねぇのかよ! 
あんなシケシケのチームどう転んだってギリギリ5位がいいとこだって。詳しいことはしらねぇよ。うちは加工屋だからな!」

――ありがとうございました。このシリーズ、“加工屋わたり”として続くかもしれません。

以上です 


14: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2014/12/26(金) 21:42:34.72 ID:bZklb2ns0.net

で、誰?


15: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2014/12/26(金) 21:42:56.20 ID:UhfnOD3Q0.net

で、真相は?


22: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2014/12/26(金) 21:47:46.08 ID:u96jg3UX0.net

文章にまとまりが無く言いたいこと書いてるだけでグダグダ長過ぎるんだよ

>も、もつが……ないぞう。

結局これが言いたかったんだろ


27: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2014/12/26(金) 21:53:19.16 ID:H+uvjIUX0.net

2000年 3試合 0勝0敗 防御率6.75
2001年 63試合 5勝1敗 防御率2.61
2002年 5試合 0勝0敗 防御率11.81
2003年 7試合 1勝0敗 防御率5.40

うーん…


34: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2014/12/26(金) 22:00:22.23 ID:jsyxPj+M0.net

>>27
ファンの中では2年目に森に酷使されて壊れたという事になってるんだよ
でも本人は森に使ってもらったおかげでプロ野球選手になれたと感謝してる
こいつの本読むとなかなか面白いよ


42: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2014/12/26(金) 22:13:49.52 ID:aj36qFbd0.net

安定しちゃうと人生を変えたくなる気持ちは分かる
ずっとこのままって良くもあり悪くもあり


48: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2014/12/26(金) 22:56:54.11 ID:YfXLfxEk0.net

背が高いから渋谷で待ち合わせの目印にされたっていうエピソードは覚えてる


51: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2014/12/26(金) 23:15:42.25 ID:vgMF913m0.net

なんだよ。この古い記事
新ネタがでたのかと思ったわ


61: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2014/12/27(土) 05:38:56.97 ID:4/e9E6Tz0.net

このシリーズ、毎回面白いよね。
てか加工部品製造とか、これまたすごい決断だな。。


65: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2014/12/27(土) 06:13:08.49 ID:yqqCnJtI0.net

最近のNumberも変わったな

でも、飲食店で10年続けられたのは凄い