1: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2015/09/12(土) 13:54:56.25 ID:???*.net
かつて、ミスタープロ野球こと長嶋茂雄氏から「将来、球界を代表する打者になれる」と期待された男は、強すぎる使命感ゆえ、打撃フォームを崩した。表舞台に戻ろうともがく元主砲を追う。
「弱い広島」を支え続けた
広島に原爆が落とされた8月6日。この日は、広島・栗原健太(33歳)にとっても特別な日だ。
年に1度と決めたブログ更新の日、今年も地元・広島への思いとともに、自分の現状を綴った。
〈プロ野球の世界は、1軍だけではありません。
軍はプロ野球選手の中から選ばれた選手だけがいる、華やかで派手で、子ども達の夢も大きく膨らむ場所です。
1軍に登録されても、その中で、打席に立つ、レギュラーになる、タイトルを獲る、記録をつくる、上には上があります。そして、カープには、2軍と3軍というところもあります。
僕は長年肘にかけた負担のため悪くなった肘の手術の3回目が終わり、3軍で調整した後、今、2軍にいます
カープが誇った背番号5がマツダスタジアムから姿を消して、もう2年以上になる。
パワフルな打撃で20代で4番に座り、'09年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では日本代表として優勝メンバーにもなった栗原は、
広島から西へ50km以上、隣の山口県岩国市由宇町の二軍練習場が現在の拠点だ。
「日大山形高から'00年に入団した栗原は'08年、それまで4番だった新井貴浩の阪神移籍に伴い、開幕から4番に座りました。
その年、103打点、打率・332とチームを代表する打者になった。
栗原は、入団してから4番に定着するまでの9年間、一度もAクラスがなかった。
戦力的にも苦しいとき、打線の軸として孤軍奮闘していたイメージが強い」(スポーツ紙広島担当記者)
栗原が飛躍をとげた'08年に広島の打撃コーチだった評論家の小早川毅彦氏が、振り返る。
「チャンスに強く、ここぞというときに頼りになった。彼は右方向にも鋭く、大きい当たりを打てて、本塁打より勝利に導く打点にこだわった。
豪快に見えますが、相手投手の攻め方などスコアラーとよく相談して、狙い球を絞って打席に立つ、クレバーで繊細な部分もある。
そういう選手は、一度結果が出なくなると考え込み、ひたすら練習するんです」
栗原の性格を示すエピソードがある。広島OBが明かす。
「'09年のWBC代表選考合宿で、栗原は一度、メンバーから外れました。落選を通達された日、ほかの4選手はすぐに帰りましたが、栗原だけは残って特打を始めた。
その栗原の姿を見て、原監督は『こういう選手は見たことがない』と感銘を受けたようです。
その後、村田修一(当時横浜)が大会中に負傷したとき、栗原を緊急招集したのは、そんな理由があったのです」
その日、1時間近く打ちこんだ栗原は、のちにこう振り返っている。
「『今日は帰りたい』と少しは考えました。でも、(落選を)頭で切り替えようと思っても、どうしても考えてしまう。だったら打とう、と無心でバットを振りました」
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150912-00045169-gendaibiz-bus_all&p=1
現代ビジネス 9月12日(土)11時1分配信
ウエスタン 広島打撃成績
http://bis.npb.or.jp/2015/stats/idb2_c.html
2: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2015/09/12(土) 13:56:30.83 ID:???*.net
右ひじに抱えていた爆弾
広島で中心選手に成長し、日本代表にもなった。野球選手としてまさに輝ける日々だった。
だがその頃すでに、栗原は体に「爆弾」を抱え、しかもその存在を隠していた。
「4番に定着する前年の'07年から、右ひじの痛みを我慢していた。'08年は痛みを押して大活躍したけど、結局こらえきれなくなってシーズン後に手術した。
そこからですね、栗原の苦難がはじまったのは」(前出の担当記者)
栗原の右ひじ痛は、1度の手術で完治するものではなかった。その後、栗原は常に痛みを抱えながら、プレーを続けていくことになる。
プロ野球選手が体のどこかを慢性的に痛めることは、珍しくはない。
だが栗原の場合、「だましだまし」痛みとうまく付き合うというプレーの仕方ができなかった。
爆弾が再び炸裂したのは、'11年だった。
開幕時に4番だったトレーシーがケガで6月に米国に帰国。
かわりに4番に座った栗原は、右ひじ痛が日に日にひどくなっていたが、
「自分が抜けられるチーム状態ではない」と周囲には隠し、薬と注射で痛みを抑えながら全試合に出場した。
だが、もう限界だった。シーズン終盤にはバットを振るときに痛みでひじをうまくたためなくなり、打撃の調子自体もおかしくなっていた。
オフを過ごしても痛みは引かず、翌'12年4月、栗原は2度目の手術を決意する。
栗原のひじ痛は、打撃にどう影響したのか。栗原を指導した経験のある広島OBが説明する。
「ひじが痛いと、フォロースルーでひじが伸びない。ひじが伸びきらないまま、
バットを返してしまうとボールが飛ばなくなり、それでも飛ばそうと思うと今度は余計なところに力が入ってしまう。
その悪循環が、体に染みついてしまった。
栗原が好調の時はロングティーをやると、スタンドに打球がポンポン入ったのに、ひじを痛めてからは、スタンドの手前でおじぎして、飛距離も落ちてしまった」
'12年は手術後、シーズン終了まで二軍暮らしを余儀なくされる。その頃栗原は、ブログにこんな心境を綴った。
〈(治療のため)試合がない分、ほぼノーストレスで居心地がいい。でも慣れてしまってはいけない〉
再起をめざした翌'13年はひじの痛みも和らぎ、開幕一軍で迎えたが、打撃の調子が上がらず。
松山竜平など若手の台頭もあり、5月に二軍に降格してからは、一度も昇格できなかった。
「心が折れそうになった」と、栗原の口から弱気な言葉が漏れるようになる。
そして昨年11月、やはり違和感が消えないため、栗原は3度目の右ひじ手術という選択をする。
そして迎えた今季。以前ほどの痛みはなくなったが、全盛期の打撃を取り戻すことはできず、開幕から二軍暮らしが続いている。
「手術で痛みがなくなっても、痛みを脳が覚えている、と本人は言っています。
そうすると、自分では以前と同じ感覚でバットを振ろうとしているのに、脳が痛みを回避しようとして、微妙に体が言うことを聞いてくれなくなるそうです。
投手と打者はコンマ何秒の勝負。自分の思い通りに体が動かないことが、致命的になってしまう。
栗原自身、いちばんそのことがもどかしく、悩んでいるでしょう」(広島の球団関係者)
3: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2015/09/12(土) 13:56:46.68 ID:63/Pzpuq0.net
泣いた(>_<)
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1.-
四番ピッチャー名無しさん
- 2015年09月13日 00:27 ID:tqBMXe7UO
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東出には負けるだろwww
2.-
四番ピッチャー名無しさん
- 2015年09月13日 00:41 ID:HpxMu6F.0
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別に天狗になってた訳ではないと思うけどな
あと東出はアキレス腱じゃなくて前十字靭帯だぞ
3.-
四番ピッチャー名無しさん
- 2015年09月13日 00:47 ID:PLtpRSJSO
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週刊現代は毎週1つ野球の話入れてくれてありがたい。
どこに天狗になる要素があるのか
万年Bクラスのチームでタイトルホルダーでもない…
がんばれ栗原
4.-
四番ピッチャー名無しさん
- 2015年09月13日 01:24 ID:jxbjOEjq0
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広島の選手ってなんか悲劇的とか、不幸なエピソード持ちが多い気がする・・・
5.-
四番ピッチャー名無しさん
- 2015年09月13日 01:44 ID:dNnk.fy.0
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天狗になってたわけじゃなく怪我と実力不足のダブルパンチやろ
6.-
四番ピッチャー名無しさん
- 2015年09月13日 02:22 ID:.HYB.1AI0
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天狗とか知りもしないでカープ叩きたいだけのバカがいますねえ(呆れ)
ニートとは比べるのもおこがましいほどの成績残してますよw
7.-
四番ピッチャー名無しさん
- 2015年09月13日 03:10 ID:Lv4PhG100
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経過はともあれ、現状で役に立たんのは変わらん
2軍でも打てなさすぎる
8.-
四番ピッチャー名無しさん
- 2015年09月13日 04:17 ID:LWrF1hp30
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ブラウンに壊された選手の一人
9.-
四番ピッチャー名無しさん
- 2015年09月13日 08:32 ID:v6lM.2t30
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試合でどれだけ活躍しても、ヒロインでいつも反省点を挙げてた栗原が天狗になってたとは思えないなぁ
むしろ周りが勝手にチヤホヤ持ち上げてただけだと思うけど
10.-
四番ピッチャー名無しさん
- 2015年09月13日 09:56 ID:Qzt0dfGM0
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野球経験者ならわかる(笑)
11.-
四番ピッチャー名無しさん
- 2015年09月13日 19:26 ID:dZ.26mHJ0
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活躍し始めたときには一度目の手術済み
その後も騙し騙しで成績を良化させた
そういう本質を見ずに、天狗だの実力不足だの
よく言えるわ