1: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)19:52:59 ID:0pD

書いてく


2: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)19:55:16 ID:0pD

誰も見てないかも知らんが勝手にやらせて貰う
選定基準は以下の通り
・どうしようもない成績(コンラッドなど)
・期待値の高さからのクソみたいな成績(セペダなど)
・詐欺師(ペニーなど)
・元メジャーのレジェンド(フェルナンデスなど)
・帰国後メジャーで大活躍(ボーグルソンなど)
・メジャーで名監督(ジョンソンなど)
・なんJでネタになった(ドミンゴなど)
・ぐう聖(カーターなど)
・トラブル起こす(デービスなど)
・本業以外で活躍(ブロックなど)

一部前に立てた怖い話スレの使い回しあり


3: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)19:57:04 ID:0pD

ドン・マネー
元近鉄内野手。
1965年ドラフト外でパイレーツ入団。1968年にフィリーズでメジャーデビュー。翌年以降レギュラーに定着した。1973年にブリュワーズへ移るとその年から翌年にかけて88試合・261守備機会無失策の新記録を達成。オールスターに4度出場し1600本を超える安打数をマークし1983年限りで現役引退。のはずだったが近鉄から2年2億2000万円の提示を受けて契約する。
アメリカのテレビで日本の満員の試合が紹介されていたこともあって期待感を抱いて来日したマネー。しかし当時のパの試合はガラガラで、おまけに近鉄の本拠地だった藤井寺・日生の両球場は汚くマネーの予想とはかけ離れたものだった。さらに日常生活でも球団が用意した家が球場同様汚くゴキブリが大量に現れるような有様。周囲との言葉の壁もあってマネー一家はホームシックに陥ってしまう。
酷い環境に耐えられなくなったマネーは4月の終わりに「金は全額返すから、アメリカに帰らせてほしい」と球団に求めて退団。最後の会見では家も球場も球団が悪いにも関わらず「球団に責任は全くない。すべて、この環境に慣れることができなかった私の責任だ」とコメントを残し離日した。
NPB成績 (近鉄・1984) 試29 安26 本8 点23 振10 率.260 出塁率.408 OPS.928




引用元
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1417171979/


6: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)19:58:28 ID:0pD

トッド・リンデン
元楽天外野手。実力派の畜生。
2001年にジャイアンツドラフト1位(全体41位)指名を受け入団。2003年にメジャーデビュー。守備固めをメインにプレーするが2007年途中に解雇されマーリンズ移籍もオフに再びクビになる。その後2009年途中までマイナー暮らしが続く。
2009年6月に楽天入団。途中加入ながら12本塁打を放つなど前評判以上の活躍を見せ、楽天創設後初のAクラス入りに貢献。2010年も楽天に所属したがチームの成績同様低迷しオフに放出。帰国後マイナーでプレーし、現在はジャイアンツ傘下の1Aチームでコーチを務めている。
一応半年ほど活躍した上に年俸も大して高くなかったリンデンだが言動面での問題が多かった。
2009年10月10日、対日ハム戦前のミーティングで起用法をめぐり野村克也監督・コーチ陣への批判をする。翌日に抹消されリンデンは13日に野村を謝罪のために訪問。しかし短パンTシャツおまけにサンダルという出で立ちで態度も悪かったためノムさんは更に激怒した(19日に再び謝罪し、CS第2ステージの日本ハム戦から復帰)。
ちなみに野村は謝罪後、城島健司を批判する際に「あいつは人間失格。ジャパニーズリンデンや」と発言。野村だけでは無く関係ないマッケンジーまで巻き込んでしまった。
翌2010年は先述の通り不振に陥っていたが、畜生発言の方は絶好調。8月18日のオリックス戦で球審の福家に暴言を吐き退場となる。ベンチ裏に引っ込んだリンデンだったが宥めるブラウン監督に対し「なぜ日本人の肩を持つんだ」などと発言。2年連続2度目の監督批判であると同時に日本人を馬鹿にしたような発言で物議を醸した。事態を重く見た球団は9月7日に40日間の謹慎と600万円の罰金を課し、そのまま解雇された。
NPB成績 (楽天・2009-2010) 試126 安113 本17 点55 振169 率.253 出塁率.338 OPS.766


7: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)19:59:50 ID:0pD

ケビン・ユーキリス
今シーズン楽天でプレーした内野手。独特のフォームで活躍したが先日引退を表明した。
2001年レッドソックス入団。2004年にメジャー昇格を果たすと2006年にレギュラー定着。2007年のWS制覇に貢献する。ホワイトソックス、ヤンキースを経て2014年に年俸3億円の1年契約で楽天入団。前年初の日本一を成し遂げた楽天だったが強打者マギーがマーリンズ、エース田中がヤンキースと投打の中心がメジャーに流出しており戦力ダウン。実績抜群のユーキリスにはマギーの穴埋めだけでなくそれを上回る活躍が期待された。
メジャーの有名選手ということでオープン戦は低調だったが楽天ファンをワクワクさせていたユーキリスは4番AJの後を打つ5番・ファーストで開幕を迎えると早速2戦目で第1号を放つ。しかし4月26日のオリックス戦で左足かかとの痛みを訴え翌日抹消。全治不明の左足底筋腱炎と診断された。
5月7日に帰国以後難病で休養した星野監督に対して「オー・マイ・ゴッド! それは、気の毒でならない」「腰痛の原因は、いつも(敗戦の後で)怒って、金属の何か、その辺にあるものを蹴っ飛ばしているからだと思うよ。 彼に蹴るのを辞めるように、僕が言っていたと伝えて欲しい」などとコメントし球団を気遣う聖人ぶりも見せた一方、笑顔で古巣レッドソックスのイベントに出たり流行りの氷水被りに挑戦するなど故障離脱中の選手とは思えないほど精力的に活動。畜生ぶりを見せた。
離脱・退団したため契約で3億円を支払わずに済んだだけ球団はマシだったと言えるが獲得してきた立花球団社長は「ワクワククソメガネ」などと滅茶苦茶なあだ名を付けられてしまった。なおユーキリスの代わりで入団した前巨人のボウカー(年俸1500万)は打率.248、本塁打7とマギーの穴を埋めることができず、楽天は最下位に沈んだ。
NPB成績 (楽天・2014) 試21 安14 本1 点11 振23 率.215 出塁率.342 OPS.665


8: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:00:07 ID:0pD

我ながら長いな


9: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:00:53 ID:4QB

ええんやで


10: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:01:03 ID:0pD

前に立てたプロ野球の怖い話スレの使い回し

バール・スノー
元日本ハムの投手。
1966年にメッツのマイナー入り。翌年はインディアンズのマイナーに移りその後はプロではプレーしていなかったらしい。
1974年、野球選手としてではなく「貿易会社社員」として来日したスノーは何を思ったか3月26日に日本ハムの入団テストを受け合格。即戦力ではなくファームで体力づくりの日々を送る。
4月25日、スノーにとってはじめての給料振込日に球団から翌日の2軍戦登板を告げられるが給料を引き出して突如失踪。球団の捜索の末30日にアメリカに帰国していたことが判明。5月4日に契約解除が公示され、9日には無期限失格選手となった。
NPB成績 (日本ハム・1974) 登板無し


11: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:01:17 ID:w0G

リンデンいたな~


15: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:02:15 ID:0pD

スティーブ・コックス
元横浜の内野手。
1992年ドラフト5巡目指名でアスレチックスに入団。1999年にデビルレイズでメジャー昇格すると以後2000~2002年の3年間は毎年100試合出場・2桁HRを記録する。特に2002年は148試合に出場し打率.252、16本塁打、72打点とそれなりに活躍するが2003年に横浜へ移籍する。
しかしキャンプで右膝半月板を損傷し離脱する。5月にようやく一軍昇格を果たすも15試合でまたケガ。そのままオフに解雇された。
これだけなら良くいる外れ外国人だがコックスが凄かったのはその契約。年俸275万ドルの3年契約(3年目は球団に選択権あり)という破格のもので、結局横浜は2年分の年俸と3年目契約破棄の代償金70万ドル、さらにデビルレイズへの移籍金100万ドルの計720万ドル(当時の為替相場でおよそ8億600万円)を支払うハメに。コックスは僅か15試合出場で大体7億円をゲットし、そのまま引退している。
ちなみに同期入団のタイロン・ウッズは年俸5000万だった。
NPB成績 (横浜・2003) 試15 安10 本1 点7 振17 率.200 出塁率.298 OPS.578


16: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:04:12 ID:0pD

ブラッド・ペニー
マーリンズ所属の投手。ペニーちゃん。
1996年のドラフトでダイヤモンドバックスに5位指名(全体155位)されプロの世界に入る。2000年にマーリンズでメジャー昇格を果たし、2012年までの間ドジャース、タイガースなどを渡り歩き、最多勝を獲得するなど先発投手として活躍。
2012年に通算119勝の実績を引っさげ来日し、推定年俸2億2500万円の契約でソフトバンクに入団する。当然先発としての活躍が期待された。その期待通り開幕ローテに入ったペニーは4月4日、シーズン開幕第5戦の楽天戦で日本デビューを果たす。ところが雪が舞うKスタに何を血迷ったのか半袖で登板したペニーは3回1/3を6失点(自責4)と炎上し降板。聖澤の3つを筆頭に5つの盗塁を楽天に許すなどいきなり期待を大きく裏切る。そして試合後に右肩の痛みを訴え登録抹消。寒い中半袖で投げたため故障でもしたのかと思われたが福岡での検査で異常は見つからず、さらにアメリカに帰国してまで受けた再検査でも異常は無かった。ちなみに検査で帰国したはずのペニーだが帰国中に可愛らしいポニーと戯れる自身の写真をTwitterにアップ。日本のファンからの顰蹙を買う。
再来日したメジャー119勝右腕は一軍復帰に向け雁の巣で調整の日々を送っていたが5月8日、球団は突然ペニーの退団を発表。解雇ではなく本人の申し入れによるものだった。
こうして(契約不履行で7000万だが)給料だけ貰って日本でのキャリアを終えたペニーだが、僅か10日後にジャイアンツとマイナー契約を結ぶ。そして6月にメジャー復帰を果たした畜生は22試合に登板しジャイアンツの世界一に貢献。リングをゲットした。
なお悪行の報いか翌年は所属先が無かったペニーだが今シーズンはマーリンズでプレーした。この畜生が日本人に残したインパクトは大きく、翌年ホークスが獲得したパディーヤ(メジャー通算108勝)は「ペニー2世」の疑いをかけられる羽目となった。
NPB成績(ソフトバンク・2012) 試1 勝0 負1 S0 回3.1 振1 四死3 防6.11


18: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:04:58 ID:FtY

こういうスレ好きやで頑張ってくれ


19: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:06:08 ID:0pD

>>18
ありがとうやで

マイク・グリーンウェル
元阪神の外野手。
1982年にレッドソックス入団。1985年のメジャー昇格以後レッドソックス一筋でプレー。シルバースラッガー賞1回、オールスター出場2回など活躍し1996年の退団まで1400安打、130本塁打を記録する。
1997年、長年プレーしたボストンから当時阪神史上最高額の年俸3億円以上で阪神に移籍。当時の甲子園のスコアボードは文字数の関係で「グリーンウェル」が入らなかったため、わざわざ電光掲示板の交換まで行い、更に家賃月額200万円とも言われる高級マンションを2部屋借り壁をブチ抜いて広くする改修工事を行うなど阪神は年俸以外にも多額の金をかけてグリーンウェルを迎えた。
ところがランディ・バースは「最初からプレーする気はない人で、日本の練習のきつさにはなれないだろう」と予想。バースの予言は的中する。
グリーンウェルはキャンプ中に背中を痛め帰国し、再度来日したのはシーズン開幕後の4月下旬。5月3日の広島戦でようやくデビューを果たす。この試合は決勝打を打つなど2安打2打点と活躍。その後打率.231とコンラッドよりマシ程度には打っていたグリーンウェルだがデビューから約1週間後、5月11日の巨人戦で自打球を当て、右足の甲を骨折。
ここでグリーンウェルは「野球を辞めろという神のお告げ」という球史に残る名言を吐き、本当に引退してしまう。これに対し阪神ムッシュ吉田監督は「嵐のように来て嵐のように去っていった、つむじ風のような男だった」とコメント。阪神は5位に沈んだ。
なお年俸3億、電光掲示板、マンションの家賃、改修費、おまけにグリーンウェル帰国後の原状回復の費用まで支払い多額の損失を出した阪神球団はレッドソックスまで巻き込み契約不履行を理由に損害賠償を請求。2008年にレッドソックスチーム殿堂入りを果たしたグリーンウェルは現在、遊園地「マイク・グリーンウェルズ・ファミリー・ファン・パーク」を造りそのオーナーを務めている。
NPB成績 (阪神・1997) 試7 安6 本0 点5 振4 率.231 出塁率.310 OPS.656


20: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:06:46 ID:0pD

ケビン・ミッチェル
元ダイエーの外野手。一応成績だけは良かった実力派の畜生。
1984年にメッツでメジャーデビュー。パドレス、ジャイアンツと渡り歩く中レッズ在籍時には1994年にはストライキで短いシーズンながら打率.326、30本塁打を記録する。
1995年、推定年俸4億円を提示したダイエーに入団。アメリカでも評判の素行の悪さだったがそれを覚悟しての獲得だった。開幕戦初打席初満塁弾というこれ以上ないデビューを果たす。当初は外野手で出場していたがほどなく故障し指名打者になるも欠場が増え、シーズン途中で病気療養のため無断帰国した。8月に復帰すると「チームがまさかこんな状態(5位)になっているとは思わなかった」と発言。再度無断帰国したため即刻解雇された。
退団後のミッチェルだが年俸が全額支払いにならなかったことがお気に召さなかったようで裁判まで引き起こし、東スポなどに「金と共に去りぬ」と揶揄される。1998年に引退後、2度も逮捕されている。
ちなみに阪神のグリーンウェルに対し「最初からプレーする気はない人で、日本の練習のきつさにはなれないだろう」とコメントしていたバースだがミッチェルに関しては「実力がある選手なのにメジャーリーグの球団が契約を結ぼうとしないのは(その選手に何らかの)問題があるから。ミッチェルの場合はトラブルメーカーであった事が理由なのはわかりきっていたはずだ」と発言。やっぱりバースがNo.1。
NPB成績 (ダイエー・1995) 試37 安39 本8 点26 振27 率.300 出塁率.389 OPS.920


21: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:08:30 ID:0pD

ダン・ミセリ
元巨人投手。
1990年にロイヤルズ入団。1993年にパイレーツでメジャーに昇格すると中継ぎとして活躍。12年間でパドレス、マーリンズ、アストロズなど9球団を渡り歩く。2004年にアストロズで74試合に登板した実力を引っさげて2005年、巨人入団。同年に入団したキャプラーの推薦もあり獲得が決まった。
キャンプに合流後は当時の巨人・堀内監督はクローザーでの起用を明言するなど高評価を得る。しかしオープン戦では8試合で防御率5.63とシーズンへの不安を残す。
4月1日、レギュラーシーズン開幕戦(対広島)の9回表、巨人1点リードの場面で初登板。いきなりラロッカに一発を浴び、更に緒方孝市から勝ち越し2ランを打たれて敗戦投手となる。続いて5日の横浜戦、同点の12回裏に登板したミセリは1死1.3塁のピンチを作り、挙句多村仁(当時)にサヨナラヒットを打たれ2敗目。7日の横浜戦は巨人5点ビハインドの場面で登板。多村に今度はツーランを浴びるなど3失点で降板。10日の中日戦では9回表、巨人10点ビハインドの場面で登板。ようやく無失点に抑えるもここまでだった。
4月19日に解雇される。契約では年俸2億円近くだったが巨人が支払った給料は5250万円で済んだ。この解雇当日に浅草を訪れ人力車に乗るなどTOKYOを満喫したミセリは一週間ほど日本で観光した後帰国。これには同僚のシコースキー、ローズも思わず苦言を呈したほどだった。
帰国後は6月にロッキーズでメジャー復帰。2006年のWBCにはイタリア代表(ミセリの父はイタリア人)に選出される。この年デビルレイズでプレーしたのを最後に現役を引退した。
NPB成績(2005・巨人) 試4 勝0 負2 S0 回2.2 振1 四死2 防23.63


22: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:09:29 ID:0pD

D.J.カラスコ
元ソフトバンク投手。
1997年ドラフト26巡目指名でオリオールズ入団。2003年にロイヤルズでメジャーデビューするとその後定着。3年間で101試合に登板した。
2006年にソフトバンク入り。ローテ入りを期待されるも3試合投げただけでファーム降格となる。その後はファームで過ごし1軍では未勝利のままオフに解雇。2007年からはマイナーとメジャーを往復しながら2012年まで投げた。
実はソフトバンク入団時に2年5億円の契約を結んでいた。1年在籍したので少なくともその半額ぐらいは貰っているものと思われる。なんだかんだペニーより高い。
NPB成績(2006・ソフトバンク) 試3 勝0 負3 S0 回10.1 振9 四死11 防14.81


23: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:10:29 ID:w0G

ペニー投手だっけ?と思ったらベニーの事だった


24: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:11:29 ID:0pD

ダレル・メイ
元阪神・巨人投手。
1992年、ドラフト46巡目指名でブレーブス入り。1995年にメジャー初昇格を果たすとパイレーツ、エンゼルスを経て1998年に来日。阪神に入団。1年目はローテに定着し防御率3点台ながらムエンゴなどで4勝9敗に終わる。
1999年、阪神監督に野村克也が就任。メイは松井秀喜への故意死球など問題を起こしながらも前年同様ローテに定着。しかしノムと対立し東スポに「あの監督は勝てば自分の手柄、負ければ選手の責任」などと監督批判コメントを発表。さらに野村に対する中傷ビラを配布し球団から罰金1200万円と無期限謹慎処分が下され帰国した。この年は防御率4.25で6勝7敗だった。
2000年、巨人と年俸1億5000万円の契約を結び入団。6月7日の阪神戦で和田豊に狙って危険球を投げ10日間出場停止処分を食らうものの12勝を挙げチームの日本一に貢献した。翌年10勝を挙げたのちメジャーに復帰。2006年に現役を引退した。
成績だけなら優良助っ人だがいろんな意味で阪神ファンの怒りを買った大問題児である。
NPB成績(阪神・1998~1999/巨人・2000~2001) 試89 勝32 負31 S0 回556.1 振540 四死196 防3.67


25: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:12:03 ID:0pD

バルビーノ・ガルベス
元巨人投手。
1981年にドラフト外でドジャース入団。ほとんどメジャーに上がることなく1994年に台湾へ渡る。2年で26勝と好成績を残すと1996年に巨人にテスト入団。大して期待もされていなかったが1年目から16勝を挙げてチームの優勝に貢献。斎藤雅樹と最多勝のタイトルを分け合った。この年の5月に中日戦で山﨑武司と乱闘騒ぎを起こしCM(日本酪農乳業協会)デビューも果たす。「カルシウムブソク、シテイマセンカ?」の台詞で人気を得た。
1997年も12勝を挙げ、翌年も7月末時点でハーラートップの9勝を記録。
しかし7月31日、対阪神戦(甲子園)。判定へのクレームを審判に付け、そのまま交代となりベンチへ引き上げる途中に突如球審(ただし橘高)にボールを投げつけるという「ガルベス事件」を起こし退場。翌日無期限出場停止及び罰金4000万円の処分となった。
一時は退団も確実という情勢だったが1999年シーズンも巨人に在籍。巨人史上初の外国人開幕投手を務めるも9勝12敗と負け越すと翌2000年は未勝利に終わり巨人を去る。2001年はパイレーツ、メキシカンリーグを経由して韓国・三星入り。この年限りで引退した。
NPB成績(巨人・1996~2000) 試106 勝46 負43 S0 回751 振443 四死232 防3.31


26: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:14:11 ID:5JX

グリーンウェルの電光掲示板改良はスタンリッジに活かされたからセーフ


29: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:15:22 ID:0pD

ディオニス・セサル
元中日内・外野手。
アスレチックスなどのマイナーで18歳から数年間プレーしたのち2003年にメキシカンリーグへ移る。2005年は台湾・中信に「迪歐」の名で在籍していたが28試合しか出場せずに退団。翌年から再びメキシコでプレーし2009年には打率.380、40盗塁の成績を残して首位打者、盗塁王を獲得。さらにはシーズンMVPにも選ばれた。
その年の11月、毎度の如くドミニカに渡った森繁和が開催した中日入団テストに参加。その時に森繁の目に留まって2010年から中日でプレーすることが決まった。
キャンプから「マニー・ラミレス打法(髪型を真似る)」「一人8役」と話題を振りまくとオープン戦で打率.119(規定到達)ながら開幕1軍に入り3月28日の広島戦ではサヨナラ打(ただしこの状況を作ったのは自分のタイムリーエラー)を放つ。しかしその後は全然ダメで4月24日にファーム降格、5月13日まで1軍に戻ることは無かった。この降格期間を挟んで4月2日から5月31日までの約2ヶ月間、92打席に渡ってタイムリー無しの記録を作るも6月4日には負傷して再びナゴヤ球場へ。7月に一時昇格しすぐに降格したのちは8月26日から29日までの僅かな間一軍でプレーしただけで10月2日に自由契約となる。中日退団後はメキシカンリーグに在籍した。
NPB成績(中日・2010)試51 安40 本1 点10 振45 率.215 出塁率.244 OPS.512


30: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:16:07 ID:0pD

ジョー・ペピトーン
元ヤクルトの外野手。スワローズ(アトムズ)史に燦然と輝く糞助っ人。
1962年にヤンキース入団。ニューヨーカーで天性のスラッガーであったペピトーンは大きな期待を受け、実際にゴールドグラブ賞を3度獲得するなどファーストとして活躍。しかし1969年限りで解雇され、アストロズなどを渡り歩く。
1973年はブレーブスにいたが6月に来日しヤクルト入り。合流後いきなり勝ち越し打を放つなど期待を持たせるもその月末に「ペピトーン・デー」と銘打って行われたダブルヘッダーの中日戦2試合目を欠場すると早速離婚問題のために無断帰国。再来日したのは8月に入ってからだったが2週間経たないうちにアキレス腱痛で離脱、そのまま9月12日にまたまた無断帰国した。
球団の不手際で2年契約だったため翌年も在籍するはずだったペピトーン。しかし今度は来日しないどころか連絡が取れない状況に。やっと連絡が取れたと思えば料金と犬の空輸料金を要求し出したため球団は任意引退扱いで解雇、のちに本人の都合で自由契約となった。
退団後、ペピトーンはNYタイムズのインタビューで「物価が高い」「言語が通じない」「マンションのドアの高さが131cm」などと日本を盛大にディスるものの当時太平洋クラブライオンズ企画室長のマーティ・キーナートに「あんな奴はアメリカ人の面汚しだ」とキレられる。その後キーナートはタイムズ紙とメジャー全球団に反論文を送りつけるがその甲斐もあってかペピトーンはマイナーですら雇って貰えず引退した。
後にヤクルト球団は(ペピトーンのせいで)日米球界の関係悪化を懸念したドジャース会長にチャーリー・マニエルを譲り受ける。ヤクルトはマニエルの力もあって1978年に初優勝したため長期的に見ればペピトーンの獲得は正解だったのかも知れない。
NPB成績 (ヤクルト・1973) 試14 安7 本1 点2 振7 率.163 出塁率.265 OPS.498


31: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:18:10 ID:0pD

前に立てたスレの使い回し

リチャード・デービス
元近鉄の内野手。
メジャーでブリュワーズ、フィリーズ、ブルージェイズ、パイレーツと渡り歩いたのち1984年途中に近鉄入団。1年目から78試合で18ホーマーを記録。1985年には打率、本塁打、打点の3部門で三冠王の落合博満に次ぐ2位となる。1986年には6月13日の対西武戦で死球を受け相手投手の東尾修をボッコボコにして10日間の出場停止処分を食らったものの打率.337、36本塁打を記録するなど確実性と長打力を兼ね備えた選手として長く活躍した。
ところが1988年6月7日、大麻不法所持の疑いで逮捕され翌日解雇される。その後国外退去処分となりそのまま引退。
このデービスに代わって中日二軍から近鉄に入団したのがラルフ・ブライアントである。
NPB成績 (近鉄・1984-1988) 試461 安564 本117 点322 振195 率.331 出塁率.397 OPS.983


33: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:19:58 ID:0pD

外れじゃないが

トニー・フェルナンデス
元西武内野手。
1979年にブルージェイズ入団。1983年にセプテンバー・コールアップでメジャー初昇格を果たすと1984年は開幕マイナーながら5月に昇格するとショートのレギュラーを手にする。1986年からは4年連続のゴールドグラブ賞を獲得。1990年オフにパドレスに移籍。1992年オフにはメッツへ移った。
1993年6月にブルージェイズに復帰すると1994年からレッズ、ヤンキース、インディアンスを渡り歩いて1998年からはまたブルージェイズに戻るとその年にメジャー通算2000本安打を記録した。
2000年にドミンゴ・マルティネスの後釜として西武入団。主に三塁を守ったフェルナンデスは怪我や年齢から欠場も多かったが途中から4番を打ち打率.327をマークした。成績は良かったものの高齢なので解雇されたが当時西武オーナーだった堤義明は「ライオンズに無いものをアメリカから持ってきてくれた。ありがとうと言いにいかせる」と編成担当をドミニカまで向かわせるなどチームに成績以外にも良い影響を与えた。夏場に兄が死去した際には一時帰国。メジャーでは身内の不幸のときは落ち着くまで離脱するのが普通だがフェルナンデスはすぐに再来日。復帰戦でいきなりサヨナラヒットを放ちお立ち台で兄への思いを語った。大きな帽子やヘルメットを浅めにかぶる謎の癖があり、走塁中にヘルメットが脱げて送球が後頭部に直撃し悶絶したこともある。また、福岡ドームではトレーニング室の自転車を勝手に持ち出して通路でサイクリングをするなど変な一面もあった。
2001年は開幕時にブリュワーズでプレーしたのち6月にブルージェイズに復帰。この年限りで現役を引退した。
2008年にブルージェイズでの活躍が認められてカナダ野球殿堂入り。現在はトニー・フェルナンデス財団という世界の子供達を助けるNPOを運営すると同時にレンジャーズGM特別補佐も務める。
なおブルージェイズ時代につけた背番号1はチームの準永久欠番となっている。
NPB成績 (西武・2000) 試103 安121 本11 点74 振47 率.327 出塁率.418 OPS.908


41: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:24:48 ID:bfc

>>33
トニフェルは外れだよ
助っ人に期待するのはホームランなのに一発ないし
あんなのをいまだにありがたがる奴の気が知れないちな猫


34: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:20:41 ID:0pD

アルフォンソ・ソリアーノ
元広島内野手。
カープアカデミーから1996年広島入団。1997年に初の一軍昇格を果たすも17打数2安打に終わる。その年の契約更改で広島の提示した4.5万ドルに対してソリアーノ側代理人の団野村は18万ドルを要求し年俸調停にまで発展し任意引退で退団。ちなみに広島時代は年齢を2歳下に偽っていた。
その後ドミニカに戻り野球をしていたところヤンキースの目に留まり1998年9月に入団。ヤンキースは保有権を持つ広島に310万ドルの大金を支払っている。
2001年にメジャー初昇格を果たすと二塁のレギュラーに定着。1年目ながら158試合で打率.268、18本塁打、73打点、43盗塁をマークし新人王投票ではイチロー、C.C.サバシアに次ぐ3位に入った。翌年は40-40にあと一歩の39本塁打41盗塁。2004年以降レンジャーズ、ナショナルズでプレーすると2006年オフには当時史上5番目となる8年1億3600万ドルの大型契約を結びカブスへ移籍。ナショナルズ時代から既に外野手となっていたがカブスでも長く活躍。2013年にヤンキースに戻ると8月7日に日米通算2000本安打。名球会入りの資格を得た。今季はア・ナ両リーグでの1000本安打を達成するも途中でヤンキースを放出されると11月に引退を発表。MLB通算2095安打、412本塁打。
NPB成績(広島・1996~1997)試9 安2 本0 点0 振4 率.118 出塁率.211 OPS.329


36: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:22:24 ID:0pD

ケビン・メンチ
元阪神内野手。
1994年ドラフト4巡目指名でレンジャーズ入団。レンジャーズ、ブリュワーズ、ブルージェイズを渡り歩き通算89本塁打をマーク。2009年に阪神に入団するとメンチコピペを生む。

●メンチ速い!殺人バファロー走法に虎将仰天
●虎メンチ豪弾15発!真弓監督ダル撃ち指令
●ド迫力の虎新助っ人メンチ、併殺崩し任せろ
●乱闘任せろ!メンチ、虎の魔よけや!!
●虎将も合格点!メンチ、変化球イケるやん
●虎将安心「6番・右翼」メンチ“一発合格"
●死角なし!阪神・メンチ、安芸でも25発
●絶好調!阪神・メンチが余裕14発!
●巨体メンチが激走!ド迫力ランで一気生還
●阪神・ジェフ、メンチの活躍に太鼓判!
●ドドドドドッ虎・メンチ、走る凶器や
●虎将唸った!“猛肩"メンチが赤星殺した
●虎将不敵!007歓迎、メンチの弱点探して
●阪神・メンチ目覚めた!?2軍戦で4打数4安打1発6打点

しかし本塁打0に終わりオフに解雇された。チームは2005年以来の4位に沈んだので魔除けにもならなかった模様。
2010年はナショナルズでプレーしその後引退。(※文中虎将は真弓明信)
NPB成績 (阪神・2009) 試15 安8 本0 点2 振9 率.148 出塁率.179 OPS.382


39: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:23:21 ID:0pD

ブルックス・コンラッド
元阪神内野手。
2001年アストロズ8巡目指名でプロ入り。メジャー昇格を果たせないまま2007年にFAとなる。2008年にアスレチックスで初のメジャー昇格。2010年にはブレーブスで103試合に出場し打率.250で8本塁打を記録した。
2012年シーズン終了後に阪神入団。中村勝広GMがビデオを見て2分で獲得を即決したらしい。入団会見では自分で書いたであろう「コンラッド」と墨書された半紙を持って登場した。
オープン戦でチーム1号HRや満塁弾を放つなど活躍し新井兄弟との三塁レギュラー争いに勝利。開幕スタメンを果たすと開幕戦でツーベースを2本打つなど開幕カードで4安打と上々のスタートを切る。しかしその後不調に陥り打点ゼロのまま4月下旬に2軍降格となった。5月中旬に再昇格後は7打数5三振を記録し月末に再度降格。そのまま一軍に上がることなく解雇された。なお阪神の助っ人外国人野手で本塁打ゼロは2009年のメンチなど多数存在するが打点ゼロはコンラッドのみである。
今シーズンはパドレスに在籍したが8月に戦力外となった。
NPB成績(阪神・2013)試24 安10 本0 点0 振23 率.175 出塁率.319 OPS.600


40: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:24:34 ID:0pD

ベイファンにはすまんがロッテサイドから

ロバート・ローズ
元横浜・ロッテ内野手。通称白ローズ。
1985年ドラフト5巡目でエンゼルス入団。1989年にメジャー初昇格もイマイチ成績を残せず1992年には移動中のバスが事故を起こし捻挫したという理由でマイナー降格となる。この降格を巡って監督とモメたローズはこの年限りでエンゼルスを退団。
その年のオフにメジャー初昇格からローズに注目していた大洋と契約する(1993年から横浜ベイスターズに改称)。初めは守備面での活躍を期待されていたローズだったが同期来日のブラッグスと共に打ちまくると1年目から首位打者、打点王争いに絡みベストナインにも選ばれた。以降も安定した成績を残していたが1996年オフにパワー不足などの理由から解雇されかける。しかしブラッグスが退団したこともあって1997年から4番に抜擢。すると石井琢朗、鈴木尚典らとマシンガン打線を確立し、この年ベイスターズは2位に躍進した。
そして1998年、一時不調で4番を外れたローズだったが後半から勢いを取り戻しポイントゲッターとして大活躍。チームは大洋時代の1960年以来38年ぶりのリーグ優勝を達成、さらに日本一にも輝いた。1999年にはチームは3位と成績を落とすもローズは打率.369、打点歴代2位の153をマークして2冠王となる。この年の安打数192は当時のセ・リーグ記録だった。
2000年を最後に横浜退団。帰国後はどこの球団にも属することなく過ごしていた。しかし2003年、年俸8000万円で突如ロッテで復帰。が、紅白戦で打てず、キャンプも終わっていない2月19日に「野球に対する情熱が無くなった」と退団する。横浜史上最強助っ人はロッテ史上最悪の助っ人になってしまった。
NPB成績 (横浜・1993~2000/ロッテ・2003) 試1039 安1275 本167 点808 振566 率.325 出塁率.402 OPS.933


42: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:25:55 ID:0pD

ユニエスキー・ベタンコート
元オリックス内野手。
キューバ出身。キューバ国内リーグでプレーしたのち2003年末にアメリカへ亡命し2005年にマリナーズと契約する。同年7月にメジャー昇格。2006年からはショートのレギュラーとなりロペス(前巨人)と二遊間を組む。2009年7月にロイヤルズへ移籍後もレギュラーとして出場を続けるもブリュワーズを経てロイヤルズに戻った2012年以降は成績を落とす。フィリーズマイナー、ブリュワーズを経て2014年に年俸1億円の1年契約でオリックス入団。
開幕戦で4番を打つものの12試合で打率は僅か.106で4月11日にファーム行きに。その後5月6日に再昇格するも一週間ほどで北神戸へ送還された。チームが例年になく勝ち進んだため幸運の置物説も囁かれたがベタンコートがいなくとも強く置いておくだけ無駄だった。
ベタンコートは2軍で試合にも出ず足の怪我で帰国しそのまま7月22日に解雇。メジャー通算1057安打の実績で入団時には大いに期待された選手だったがチームの快進撃とユーキリスの影でシーズン終了時にはオリックスファンの大半にその存在を忘れられてしまっていた。
NPB成績 (オリックス・2014) 試18 安10 本0 点4 振2 率.141 出塁率.139 OPS.294


43: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:26:10 ID:bfc

近鉄多いけどオジーカンセコはまだかいな


44: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:27:50 ID:0pD

銭村健三
元広島投手・内野手。
ハワイ出身の日系アメリカ人。父は広島出身で「日系人野球の父」と呼ばれた銭村健一郎。
日系人なので第二次世界大戦開戦後アメリカ合衆国政府によりアリゾナ州のヒラ・リバー強制収容所に送られるとそこで銭村一家と他の日系人は野球場を造る。後に徴兵され米国内で太平洋戦争の後処理に従事した。
終戦後はハワイで教員をしていたが1953年途中に弟・健四、同じ日系人の光吉勉と共に来日し広島入団。米国大学選抜のトップバッターとして来日していた健四の活躍を見た東洋工業の松田恒次社長(当時は広島オーナーではない)がその兄で東洋工業サッカー部の健次に「カープに連れてこれないか」と相談。それを聞いた父の健一郎が日本語の不自由な健四に健三、さらに好投手の光吉を付けて日本へ送り出した。
3人の入団に必要な400万円はカープにはとても賄える額ではなく募金(多分樽)で工面。6月に来日した3人が広島に降り立つと広島駅前広場には6000人のファンが集まりさらにその後のパレードでは10万人の人出となった(この数字は天皇巡幸並)。
投打二刀流だった健三だったが野手として10試合出場、投手としては1試合登板に終わり8月に退団。「夏休みを利用してアルバイトに来た」とのコメントを残して帰国した。
同時に入団した2人のうち光吉は肩を怪我して実力を発揮できず翌年引退。しかし健四は持ち前の機動力で広島の中心選手となり1956年までプレーしオールスター出場も果たしている。
健三は帰国後教師を続け、1984年にはアメリカの少年野球チームを率いて再来日。現在もアメリカで暮らしている。
NPB成績(広島・1953) 試1 勝0 負0 S0 回1.2 振0 四死4 防4.50
NPB成績 (広島・1953) 試10 安0 本0 点0 振0 率.000 出塁率.000 OPS.000

>>43
すまん書いてない


45: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:30:18 ID:0pD

トニー・バティスタ
元ソフトバンク内野手。
1991年アスレチックス入団。1996年にメジャー初昇格。ブルージェイズ、オリオールズ、エクスポズを渡り歩き独特の打撃フォーム(「神のお告げ」でフォームを変えたらしい)から放った通算214本塁打の実績を引っ提げて2005年に2年総額15.6億円の契約でソフトバンクに入団した。
キャンプ合流後すぐに若手の指導を行うなどプレー以外でもチームに貢献すると4月18日のオリックス戦では山口和男からパ・リーグ4万号本塁打を打つ。リーグ最多の135試合(当時のパは136試合制)に出場し27本塁打を記録したが若返りを目指すチーム方針もあって放出される。年俸は15.6億満額支払われた。
ソフトバンク退団後はツインズ、ナショナルズでプレーして2008年限りで引退している。
NPB成績 (ソフトバンク・2005) 試135 安147 本27 点90 振115 率.263 出塁率.294 OPS.757


47: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:31:54 ID:0pD

エリック・ヒルマン
元ロッテ・巨人投手。
1987年ドラフトでメッツに16巡目指名され入団。1992年にメジャーデビュー。1995年にロッテ移籍。身長208cmは今年楽天にファンミル(216cm)が加入するまでNPB史上最も高かった。1年目に12勝をマークすると2年目は14勝を挙げてベストナインに選ばれる。
1997年、金銭トレードで巨人に移籍。2年5億の契約を結ぶもすぐに左肩を故障。この年は僅か2試合に登板しただけで手術を受ける。しかし翌年も肩の違和感で離脱。「左肩に小錦が乗っているようだ」と迷言を吐き登板拒否を続け「ミスター違和感」の称号を獲得し結局シーズン途中で退団。ナベツネは「金をやるから出ていけ!」とブチ切れた。
巨人では2試合6イニングの登板で0勝1敗、防御率3.00の成績に終わるも5億円をゲット。「俺をミッチェルやグリーンウェルと一緒にしないでくれ」と言ったが給料泥棒ぶりはその二人よりも酷かった。
ちなみに違和感の原因は小錦ではなく左肩回旋筋腱板の全層断裂。帰国後は2Aで1試合登板したのみで2000年に引退した。
NPB成績(ロッテ・1995~1996/巨人・1997~1998) 試59 勝26 負19 S0 回416.2 振243 四死121 防2.64


49: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:32:38 ID:0pD

フランシスコ・カラバイヨ
群馬外野手・コーチ。
2001年アストロズ入団。2008年から米独立リーグに移ると2009年には来日し四国IL・高知に加入。ホームラン(18)と打点(76)の2冠を獲得すると2010年にはBCL・群馬に移籍。ここでも15本塁打を放つとシーズン中の7月12日にオリックス入団。19日の楽天戦で1番打者の森山周の代打として初出場を果たす。スタンドのオリックスファンも「誰や?」といきなり現れたベネズエラ人に困惑している中第2打席でいきなり同点ソロアーチ。その後勝ち越し3点タイムリーを放った同郷のバルディリスと共にヒーローインタビューを受けた(この日は同じベネズエラ人のカブレラも本塁打を打っている)。この年は打率.257、7本塁打をマーク。ちなみに最初しかいなかったのにBCLの本塁打王も獲得している。
しかし翌2011年、左手首を手術すると僅か4試合の出場に終わり戦力外となる。
2012年は米国の独立リーグでプレーしたのち2013年にはコーチ兼任で群馬に復帰。この年24本塁打でBCLの記録を更新すると今季は打率.396、33本塁打、87打点と異次元の成績を残した。四国IL、BCLのシーズン本塁打・打点記録保持者。
ちなみに「ユンケル」のCMでイチローと共演したことがある(鉄骨の上でイチローと対戦し打たれる投手役)。NPB初ホームランの際にはユンケル100本を佐藤製薬からプレゼントされた。
NPB成績 (オリックス・2010~2011) 試40 安30 本7 点18 振52 率.242 出塁率.314 OPS.758
日本独立リーグ成績 (高知・2009/群馬・2010,2013~2014) 試253 安355 本90 点272 振180 率.370


55: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:36:58 ID:EpI

>>49
群馬だと神助っ人なんだけどなぁ...


56: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:38:21 ID:0pD

ラファエル・ベタンコート
元横浜投手。
1993年9月にレッドソックス入り。1996年までは遊撃手だったが翌年から投手転向。メジャーに上がることなく1999年限りでレッドソックスを解雇された。
2000年に横浜入団。大魔神佐々木の後釜として来たはずが11試合に登板し先発で1勝を挙げたのみでオフに戦力外となる。2001年は再びレッドソックスのマイナーで投げるもまたしても1年でクビ。それでも2003年はインディアンズと契約すると7月にメジャーデビューを果たし、そこから一気に33試合に登板。翌年以降は2005、2006の両年(それぞれ54、50試合登板)2012年までの間毎年のように60試合以上投げるタフなリリーバーに成長した。2009年途中にロッキーズに移籍。2012年には2年850万ドルの契約を結ぶも2013年はメジャーデビュー以来最少の32試合登板に終わり今季はロッキーズのマイナーでプレーしている。
NPB成績(横浜・2000) 試11 勝1 負2 S0 回28.2 振16 四死12 防4.08

>>55
現地おったけどオリックス初出場の日は間違いなく神やったで


50: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:33:14 ID:0pD

クリス・カーター
元西武外野手。
2004年ドラフトでダイヤモンドバックスから17巡目指名されプロ入りすると2008年にレッドソックスでメジャーデビュー。初出場は相手に殴りかかって退場処分を食らった選手の代走という変わったものだった。メッツ、レイズ、ブレーブスを経て2012年に西武入団。3月に右膝の手術を受けるがシーズンでは代打を中心に59試合に出場。代打打率.333をマークし西武のCS進出に貢献するがオフに解雇。一旦アメリカで就職する。
2013年、BCL石川で現役復帰。6月に西武に戻るも僅か14試合の出場に終わり再び解雇される。今シーズンはメキシコでプレーした。
西武時代の2013年にキャプテン栗山巧が離脱した際にはナインに「勝者と敗者の間には、1センチの差しかない。俺たちはチャンピオンを目指すチームだ。きょうはチャンピオンのように闘おう。チャンピオンは、あきらめない。」と演説しチームを勝利に導いた熱い男でもありファンから愛された助っ人である。名門スタンフォード大学を飛び級で卒業している。
NPB成績 (西武・2012~2013) 試73 安41 本4 点30 振33 率.264 出塁率.391 OPS.715


51: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:34:15 ID:0pD

フレデリク・セペダ
巨人外野手。至宝。
1997年キューバリーグデビュー。2002年以降キューバ代表として長年プレーしアテネ・北京両五輪とWBC全大会に出場。2009年WBCでは大会ベストナインを獲得。
2014年途中、キューバ政府が国内リーグ選手のNPB派遣を認めるとその第一号として契約金5000万円・年俸1億5000万円の1年契約で巨人に入団、「キューバの至宝」として活躍が期待された。
5月15日の対ヤクルト戦で日本初出場。いきなり4番を打つと17日の広島戦でマエケンから1号HRを放つ。しかし打率1割台と不振が続き7月12日に2軍降格。月末に再昇格を果たすも8月23日にまたよみうりランド送りに。その後は10月15日まで1軍に戻ることは無く期待に応えられないまま打率2割未満でシーズンを終えてしまった。なお来年も残る模様。
NPB成績 (巨人・2014) 試52 安21 本6 点18 振38 率.194 出塁率.333 OPS.722


52: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:35:07 ID:w0G

カーターはなんかかわいそう


53: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:36:11 ID:0pD

フランク・ハワード
元太平洋クラブ内野手。
1958年にドジャースでメジャーデビュー。セネタース(現:レンジャーズ)に在籍していた1968年、1970年には本塁打王を獲得するなどメジャー通算382本塁打を記録した。
1974年に太平洋クラブライオンズ入団。楽天にAJが入団するまでメジャー通算382ホーマーはNPBの外国人最多記録で、黒い霧事件以来集客に苦しんでいたライオンズの目玉として話題を呼んだ。球団は「ハワードの本塁打数を当てればグアムペア旅行プレゼント」という「ハワード・ホームランクイズ」までやっている。
オープン戦で活躍し巨人・川上哲治監督から「すごいね、彼は活躍するでしょう」と言わしめたハワード。しかし既に膝の故障で立つのも困難な状況だった。
開幕前にスポニチがそれをすっぱ抜くと稲尾和久監督は「営業妨害する気か」と記者に詰め寄ったものの怪我はどうしようもなく、結局開幕戦で1四球を選んだほかは2打席凡退したのみで引退してしまった。ちなみに球団はハワードの代理人に「年俸を全額支払わないと裁判にする」と脅され本当に全額(2800万円・当時の最高年俸が王貞治の5220万円)支払い、ホームランクイズの正解者にもグアム旅行をプレゼントしている。
NPB成績 (太平洋クラブ・1974) 試1 安0 本0 点0 振0 率.000 出塁率.333 OPS.333


54: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:36:51 ID:0pD

ツギオ
元ヤクルト内野手。本名は佐藤二朗。
ブラジル出身で父親がヤクルトアカデミーの校長だったこともあり1999年にユウイチと一緒にヤクルト入団。2軍では主軸を担うも外国人枠の関係上1軍に上がれず。2003年にユウイチ共々帰化申請を出すも審査中に解雇された。
2004年からは社会人野球・シダックスでプレー。キンデラン・パチェコの両キューバ人が引退したのちは4番に定着した。
2006年限りでシダックス野球部が廃部になると2007年からはヤマハでプレー。2010年には社会人ベストナインに選出され、2013年WBCではブラジル代表に入り4番ユウイチ、5番ツギオで日本と対戦。負けはしたものの杉内俊哉から同点タイムリーを放った。
現在もヤマハに所属。社業の方では人事部総務課に所属しているらしい。
NPB成績 (ヤクルト・1999~2003) 出場無し


58: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:39:02 ID:0pD

ドン・ジマー
元東映内野手。
1949年にマイナー入り。1953年には頭蓋骨骨折で2週間無意識状態が続き死にかけるも1954年にまだブルックリンに本拠地があった頃のドジャースでメジャー昇格を果たす。1960年にカブスへ移ると翌年オールスターに出場。1962年以降はメッツ、レッズ、ドジャースとチームを転々とし1963年に2代目ワシントン・セネタース(現レンジャーズ)へ入団。1966年に東映フライヤーズに移籍するも打率.182に終わり引退。選手としては大成しなかったが引退後に指導者として長年MLBに携わることになる。
1971年にエクスポズでコーチに就任するとパドレス、レッドソックス、レンジャーズ、カブスの監督を歴任。1989年にナ・リーグ最優秀監督となると1990年の日米野球でMLB選抜の監督として日本へ帰ってくる。
1996年から2003年はヤンキースのベンチコーチを務め、2004年からはデビルレイズ(レイズ)のシニア・アドバイザーに就任。今年6月に83歳で死去するまでその役職で活動した。
NPB成績 (東映・1966) 試87 安37 本9 点20 振41 率.182 出塁率.213 OPS.538
MLB監督成績(13年間、カブスほか)試1744 勝885 負858 勝率.508 地区優勝1 地区平均順位3.46位


60: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:40:35 ID:0pD

デーブ・ジョンソン
元巨人内野手。
1962年オリオールズ入り。1965年にメジャー初昇格を果たすと翌年セカンドのレギュラーを掴み新人王に輝く。1966年と1971年のワールドシリーズ制覇に貢献すると1973年にはブレーブスに移籍、その年リーグ2位の43本塁打を記録する。
1975年、長嶋茂雄の後釜として巨人に入団。元々二塁手なのに慣れない三塁を守ったこともあり打率.197と最下位に沈んだチーム同様低迷。「虚人のジョン損」などとなんJレベルの蔑称がつけられた。翌1976年はセカンドに戻り打率.275、26本塁打と復活しベストナイン・ダイヤモンドグラブ賞を獲得。ところが球団と揉めて退団。近鉄入りの話もあったがこの年限りで日本を去りメジャーに復帰した。1978年に引退。
引退後はマイナーで監督経験を積んだのち1984年にメッツの監督に就任し1986年にはワールドシリーズ制覇を達成した。メッツ退団後はレッズ(1995年地区優勝)、ドジャース、オリオールズの監督も歴任した。
2004年のアテネ五輪ではオランダ代表、2008年の北京五輪、2009年WBCではアメリカ代表を率いると2011年6月には下位低迷中のナショナルズ監督に就任。見事チームの立て直しに成功し翌年地区優勝を果たしナ・リーグ最優秀監督に。2013年限りで監督業を引退した。
NPB成績 (巨人・1975~1976) 試199 安159 本39 点112 振133 率.241 出塁率.326 OPS.785
MLB監督成績(17年間、メッツほか)試2445 勝1372 負1078 勝率.562 地区優勝5回 リーグ優勝1回 WS優勝1回 地区平均順位1.94位


61: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:41:12 ID:w0G

ワイは見てるけど


63: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:42:52 ID:0pD

スティーブン・ランドルフ
元横浜投手。
1995年ドラフト18巡目指名でヤンキース入団。2003年にダイヤモンドバックスでメジャー初昇格するとリリーフで8勝をマーク。
アストロズなどを経て2009年途中に横浜と契約。8月16日の初登板では敗戦投手になるも好投し初打席初本塁打まで打つ。9月5日の中日戦ではメンバー表の書き間違い(本来はランドルフが先発)により先発し1アウトを取って降板したグリンの後を受け8回2/3を15奪三振、無失点で勝利。1試合15奪三振は外国人投手としては現在最多タイ(もう一人は巨人のセドン)でリリーフ登板での15奪三振は遠藤一彦と並ぶ球団最多タイ記録となっている。10月2日の巨人戦では完封勝利を挙げ、1年目を5勝2敗、防御率1.96で終えた。
しかし翌年は開幕投手ながら2勝9敗、防御率4.25で解雇される。
2011年は東日本大震災で一時帰国してから帰ってこないリーチの代役として横浜のテストを受け5月末に復帰。その後は2軍で投げていたが僅か1ヶ月後の6月28日に解雇された。
出身地は沖縄(米軍人の子)で1歳でアメリカに渡った。1974年生まれのランドルフは沖縄返還後の誕生なので日本生まれとなる。似たような生い立ちのマイケル中村(奈良生まれ、3歳で渡豪、MLB経験あり)はドラフト指名を受けてNPB入りしているが日豪ハーフだからで、ランドルフには日本の血が入っていないため外国人扱いだった。
NPB成績(横浜・2009~2011) 試24 勝7 負11 S0 回146.0 振142 四死94 防3.39

>>61
ありがとうやで


64: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:43:30 ID:FtY

別にこの板でやってもええやろ
それにワイも見とるし


67: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:45:39 ID:0pD

李炳圭
元中日外野手。日本での通称はビョン吉(韓国では「赤兎馬」)。
1997年韓国・LG入団。2005年に首位打者を獲得するなど走攻守三拍子揃ったLGの顔として10年プレーしたのち2007年に年俸1.5億円(出来高5000万円)の契約で中日へ移籍。前年限りで退団したアレックス・オチョアを全ての面で上回る存在として大きな期待を受ける。
本来はセンターだが福留孝介の怪我もあって「5番・ライト」で開幕を迎えた李はしばらくの間打っていたがすぐに打率.250辺りを低迷。打てないのでその後打順はコロコロ替えられたが最終的に規定打席には到達した。しかし打率.262で出塁率3割未満、盗塁0、捕殺も0とアレックスを大体の面で下回る成績となった。ただしCSに入ると阪神上園や巨人上原からホームランを打つなど突然打ち出し日本シリーズでもチーム最多の5打点を挙げチーム54年振りの日本一に貢献。アジアシリーズ決勝でもHRを記録した。
2008年は低打率ながら本塁打・打点を前年以上のペースで量産するも6月にケガで離脱。6月中に一時復帰するも成績不振ですぐにナゴヤ球場へ送還されると北京五輪韓国代表からも外された。8月に一軍昇格するとそれ以降はそこそこ打ち出番を確保。2ヶ月いなかったのに2年連続の規定打席に到達したが打率.254に終わった。
3年目となった2009年はオープン戦から不振が続いて開幕2軍。5月の昇格以降1軍と2軍を行ったり来たりのまま1年を過ごすとオフに解雇。このシーズンは来日後最少の28試合出場で打率.218の成績だった。期待外れに終わった3年間だったがヒロインで日本語を喋るなど日本への順応はしていた模様。
2010年以降は韓国・LGに復帰。2012年に日韓通算2000本安打を達成すると2013年には首位打者とゴールデングラブ(DH部門)を獲得。2014年4月には突然辞任した監督の背番号、家族のイニシャル、同時期にあった船ね事故の被害者のメッセージを刻んだヘルメットで登場し話題となった。
NPB成績 (中日・2007~2009) 試265 安253 本28 点119 振234 率.254 出塁率.290 OPS.676


>>64-65
おおきに


65: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:43:45 ID:k3M

ワイも見とるで


69: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:46:28 ID:0pD

二刀流

クリス・ブロック
元広島投手。
1992年ドラフト12巡目指名でブレーブスに入団。1997年のメジャー初昇格以降ジャイアンツ、フィリーズ、オリオールズでメジャー通算18勝を挙げる。
2003年に広島移籍。8勝8敗とまずまずの成績を残す一方でリーグ最多の9死球、当時のシーズン日本記録となる11ボークもマークした。
2004年も残留したが右肩の故障で登板することなく退団。その後はデビルレイズ3A、米国独立リーグでプレーした。
NPB成績(広島・2003~2004) 試24 勝8 負8 S0 回144.0 振88 四死47 防3.97
NPB成績 (広島・2003~2004) 試26 安14 本2 点4 振10 率.318 出塁率.400 OPS.991


73: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:48:23 ID:0pD

アルフレッド・フィガロ
元オリックス投手。現ブリュワーズ。
2006年にドラフト外でタイガース入り。2009年に初めてメジャー昇格を果たす。しかし結果を残せず2010年オフに退団。その後すぐにオリックスと契約する。
2011年シーズンの開幕後はローテ入りするも打ち込まれてすぐに2軍降格となる。しかし5月に復帰すると6月の横浜戦でHRを打つなど活躍し8勝を挙げてシーズンを終えた。
翌年はエース金子千尋のケガもあって開幕投手を務める。しかし64イニング投げて味方が12得点という超絶ムエンゴに悩まされ防御率3.08ながら0勝に終わりチームも最下位に沈んだ。
球団は放出せず来季の契約を結ぶつもりだったがフィガロは12月19日にブリュワーズと契約。この時点でオリックスはフィガロを自由契約にしておらず二重契約となる。ちょっとした騒動になるもオリックスは2012年1月に契約を放棄しフィガロはメジャー復帰を果たし、2012年シーズンはブリュワーズで33試合に登板。3勝をマークした。
NPB成績(オリックス・2010~2011) 試359 勝8 負11 S0 回187.2 振127 四死61 防3.31


74: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:48:24 ID:mDd

ジャスティン・トーマスがいない


76: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:50:37 ID:0pD

リック・ガトームソン
元ヤクルト、ソフトバンク投手。
1997年ドラフト26巡目でパドレス入り。メジャーに上がることなく2005年にヤクルトへ移籍すると2軍でも打ち込まれるが上が投壊状態だったので1軍昇格。すると8勝を挙げ、更に川上憲伸からHRを打つなど活躍し残留が決まる。
2006年は開幕から1軍で投げ、5月25日の楽天戦ではノーヒットノーランを達成。このシーズンは9勝10敗と最下位に沈んだチームにあって勝ち越しはならなかったものの防御率2.65、本塁打1(広島・林昌樹から)の成績を残した。
変則ローテに不満を持っていたガトームソンはそのオフに2年7億の契約を要求し退団。2年5億の契約でソフトバンクへ移籍する。しかし移籍1年目の2007年はオープン戦登板予定日に朝飯を作っている最中に指をナイフで切って王貞治監督から厳重注意を受けると8月にはドーピング検査で引っかかり本人には20日間の出場停止、球団に750万円の制裁金の処分が下されると5勝に終わる。
2008年は三浦大輔からホームランを打つも前年同様5勝止まりで解雇。翌年は韓国でプレーし2010年に一瞬フィリーズマイナーで米球界復帰を果たすも一月経たずにクビとなった。
NPB成績(ヤクルト・2005~2006/ソフトバンク・2007~2008) 試81 勝27 負29 S0 回513.2 振329 四死167 防3.52

>>74
ハムにおった人か


77: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:51:23 ID:0pD

マイク・キンケード
元阪神内野手。
1995年ドラフトでブリュワーズに9巡目指名されプロ入り。メッツ時代の1998年にメジャー初昇格。翌年にあのミセリからメジャー初HRを放つ。
2004年に阪神入団。内外野のみならず捕手もできるユーティリティさとオープン戦で打率4割をマークした打撃で大いに期待を抱かせたものの5月11日の巨人戦でデッドボールを当てられ左薬指を骨折しファームへ。その後は8月に昇格するもすぐに怪我で登録抹消となりオフに解雇。楽天入りの噂もあったが帰国した。102打席で死球を12個受け(死球率は.118)、そのせいか打率の割にOPSは高めである。
NPB成績 (阪神・2004) 試26 安20 本3 点7 振18 率.232 出塁率.353 OPS.725


78: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:51:38 ID:bfc

ワイも見てるで
ワイはこれぐらい長い方が色々情報詰まってておもろいと思うがな


79: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:53:40 ID:0pD

金 泰均
元ロッテ内野手。
2000年に韓国・ハンファ入団。ルーキーイヤーの2001年に新人王に選出される。2008年に本塁打王、2009年WBCで大会ベストナインになるなど主砲として活躍し2010年に千葉ロッテへ移籍。
開幕4番となった金は6月までは4番として成績を残すが7月以降は本塁打僅か3本と失速。CSにもスタメン出場していたが大した活躍もせず下克上日本一を成し遂げたチームの中にあって影の薄いままシーズンを終えた。
翌年は開幕から低迷。6月19日に怪我で登録抹消され帰国、オフに退団した。
帰国後に「日本では野球が面白くなかった」「日本ではホームランを打ってもコーチ達がハイタッチにもこない」「(優勝したときに)誰も僕に『よくやった』『苦労したな』と肩をたたいてくれる人がいなかった」などと発言するもハイタッチの件では向こうのネットで動画が発掘され叩かれるハメに。
2012年からはハンファに復帰。1年目から首位打者を獲得するなど活躍する一方黒人投手に対し「黒い顔のせいで白い歯と白いボールが重なり打ちにくい」と言い叩かれたりとトラブルも起こしている。
NPB成績 (ロッテ・2010~2011) 試172 安167 本22 点106 振163 率.259 出塁率.346 OPS.724

>>78
ありがとう
要約ヘタクソやねん


81: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:56:10 ID:0pD

ブランドン・マン
元横浜投手。
2002年ドラフト27巡目でデビルレイズに入団すると2009年まで傘下のマイナーに在籍。2010年シーズンはドジャースのマイナーや独立リーグでプレーしたのちオフに横浜入りした。
2011年は前半戦では登板がなかったものの8月27日の一軍デビュー後はリリーフを中心に12試合に登板し23.1回を自責点3、防御率1.16の好成績を残す。しかし開幕ローテ入りを果たした2012年は一転2勝8敗、防御率5.32と散々な成績に終わり退団。2013年はナショナルズマイナーを経て4月にBCL信濃に加入するが1勝9敗の成績で退団。2014年はパイレーツマイナー、米独立リーグで投げた。
日本語好きを自称しておりTwitterでは幼児向けの教材で独学でマスターした日本語でしばしばツイート。「らーめんおいしね!」と阪神・メッセンジャーを脅迫したこともあったがアメリカ帰国後も「わたしは日本にかえりたい!!!!!」などと再来日を希望していたがBCLで復帰。ちなみに信濃退団後はソフトバンクのテストも受けている。
NPB成績(横浜-DeNA・2011~2012) 試28 勝3 負9 S0 回92.2 振59 四死43 防4.27


83: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:57:39 ID:FtY

>>81
ちょいちょい小ネタはさむの好きやで


85: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:58:23 ID:0pD

>>83
ありがとうやで


84: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:58:00 ID:0pD

リッチ・ゴセージ
元ダイエー投手。
1970年のドラフトでホワイトソックスから9巡目指名を受け入団。1972年にメジャーデビューすると1975年にクローザーに定着し、この年オールスター初出場。翌1976年は先発に転向し大きく負け越すとオフにパイレーツへ移籍。そこで再びクローザーを任されると26セーブを挙げる。
1977年からはヤンキースでプレー。ヤンキース1年目の1978年にワールドシリーズ制覇を成し遂げる。1984年以降パドレス、カブス、ジャイアンツを転々とすると1989年途中にヤンキースに出戻り。しかしその年のオフに放出された。
1990年はダイエーの入団テストを受験し一度は不合格となったものの6月中に支配下登録。当時MLB歴代2位の通算307セーブを挙げていたが初登板となった7月4日の近鉄戦でそのイニング(8回)先頭打者のジム・トレーバーから本塁打を浴びる。その後もパッとせず1年で戦力外となった。
翌1991年、レンジャーズでメジャー復帰を果たし中継ぎを中止に44試合に登板。その後はアスレチックス、マリナーズで投げ1994年シーズン後に引退。メジャー通算310セーブを挙げ2008年にはアメリカ野球殿堂入りを果たした。
NPB成績(ダイエー・1990) 試28 勝2 負3 S8 回47.0 振40 四死17 防4.40


86: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:59:19 ID:0pD

呂明賜
元巨人外野手。
台湾出身。1988年に大学から直接巨人入団。当時NPBの外国人枠は2人で、呂はクロマティ・ガリクソンに次ぐ3人目の外国人だったため開幕から2軍生活となる。しかし6月にクロマティが怪我で離脱すると代役で1軍に昇格。14日のヤクルト戦で初打席初本塁打を打つ(相手投手のボブ・ギブソンも初登板)。するとデビュー以降の10試合で7本塁打と大爆発しオールスターに出場(ジュニアオールスターも出場)。後半は成績を落とすもののシーズン通じて16本塁打を記録し「アジアの大砲」の二つ名を得た。守備面では捕手時代からの強肩を生かしライトゴロもマークしている。
しかし翌1989年以降はクロマティの復帰や新たに加入した外国人選手の存在もあって出場機会が大幅に減少。1991年オフに退団後は台湾・味全で1996年まで主軸打者としてプレーすると1997年には台湾プロ野球の分裂騒動に巻き込まれ元からあった中華職棒(現存)から永久追放処分を受ける。2000年まで台湾大聯盟(現存せず)で現役生活を送り引退後はコーチ就任。2003年の中華・台湾両リーグの再統合後、1000万元をリーグに寄付し中華職棒に復帰。2006年アジアシリーズでは台湾・La Newコーチとして東京ドームを再び訪れ2013年からは台湾代表監督を務めている。
NPB成績 (巨人・1988~1991) 試113 安89 本18 点49 振57 率.260 出塁率.332 OPS.794


87: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)20:59:49 ID:0pD

マット・ステアーズ
元中日外野手。
1988年のモントリオール五輪カナダ代表。1989年にエクスポズに入団すると1993年にメジャー初出場を果たす。
1993年途中に中日移籍。中日では60試合で打率.250、本塁打6本の成績に終わり退団するも同僚の落合博満は「ステアーズはいずれいいバッターになる」と才能を認めていた。一方でステアーズも落合を見て「日本人選手はいずれメジャーで活躍する」と確信したという。
1994年にレッドソックスへ移籍。成績を残せないまま1996年にアスレチックスに移ると1999年には38HRをマーク。メジャーを代表する「ジャーニーマン」として2000年以降カブス、ブリュワーズ、ロイヤルズ、レンジャーズ、タイガース、ブルージェイズ、フィリーズ、パドレス、ナショナルズと野球人生の旅を続ける中ロイヤルズ在籍中の2005年にカナダ人2人目の通算200本塁打を達成するなど落合の言ったとおり高いレベルで活躍した。2009年WBCカナダ代表。2011年にナショナルズでプレーしたのを最後に長い現役生活に幕を下ろした。メジャー通算1366安打。代打本塁打23本はメジャー記録である。
NPB成績 (中日・1993) 試60 安33 本6 点23 振34 率.250 出塁率.289 OPS.721


88: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)21:00:19 ID:0pD

フェリックス・カラスコ
元中日内野手。
2006年にドラフト外でパドレス入団。2009年までルーキーリーグや1Aでプレーすると2010年はドミニカでプレー。4割10本34打点の成績を残した(ただし自称)。その冬に例年の如くドミニカへ渡った森繁の目に留まり中日に入団することになる。
入団時に「俺は4割打者だ」と自信満々に言ったカラスコだったがファームでも全然打てず初めて一軍に上がったのは7月。3試合に出場し4打席に立つがまさかの全打席三振に終わり二軍へ。そのまま二度と一軍戦に出場することなくオフに解雇された。2軍でも僅か8安打(本塁打無し)の打率.145に終わるが三振率だけは55打数25三振の.455で本当に4割を達成している。
NPB成績 (中日・2011) 試3 安0 本0 点0 振4 率.000 出塁率.000 OPS.000


89: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)21:02:16 ID:0pD

ブレンド・リーチ
元横浜投手。
2005年ドラフト6巡目指名でホワイトソックス入団。2009年にドジャースでメジャーデビューを果たすと2011年に横浜へ移籍。
開幕前に発生した東日本大震災の影響で他の外国人らと同様に一時帰国する。しかし同僚のハーパーらが再来日する中リーチは家族の反対もあって来日せず。4月1日に史上初の制限選手(他球団への移籍を制限され、また1日毎に年俸の300分の1が減額される)となった。
7月8日にようやく来日し支配下登録に復帰したリーチだったが僅か1勝に終わりオフに解雇。その後はマイナーリーグでプレーしている。
NPB成績(横浜・2011) 試8 勝1 負7 S0 回39.1 振21 四死36 防5.95


90: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)21:02:44 ID:0pD

ヘクター・カラスコ
元近鉄投手。
1994年にレッズでメジャー初出場。以降ロイヤルズ、ツインズ、レッドソックス、オリオールズで500試合近く登板。2004年に近鉄入団。
開幕からクローザーを任されるも3月30日のロッテ戦でベニー、里崎智也にホームランを打たれて負けて以降4月9日の西武戦では中島裕之にサヨナラ犠飛、11日の西武戦で和田一浩にサヨナラ満塁HR、20日のロッテ戦で初芝清にサヨナラタイムリー、23日の西武戦で負け投手、28日の日本ハム戦でセギノールの3ランなど6失点と燃えに燃えまくり2軍降格。4月終了時点で既に5敗、防御率20.00を記録し炎上系リリーフの代表格になり炎上した投手は野球chで「○○スコwww」と煽られることになった。言わば○○ンゴや○川○児の先祖である。
ただし凄まじい炎上ぶりは4月まで。一軍再昇格以降はリリーフとしてそこそこの投球を続けた。折しも2004年は球界再編問題でプロ野球が大きく揺れた年で、丁度合併で消滅する近鉄に所属していたカラスコは仲間にストライキについてのアドバイスをしたり選手会所属ではない外国人選手は参加しない球団合併反対の署名活動に加わるなどした。
近鉄球団の消滅と共に日本を去ったカラスコは翌年ナショナルズでキャリアハイを叩き出し2009年に独立リーグで引退。一年のみの在籍で決して成績も良くなかったが球団やチームメートのことを考え行動したナイスガイと言える。
NPB成績(近鉄・2004) 試53 勝8 負8 S5 回76.0 振70 四死45 防5.57


91: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)21:04:03 ID:0pD

中島裕之
元西武、サクラメント・リバーキャッツ、ミッドランド・ロックハウンズ内野手。
2000年ドラフト5位で西武入団。元々投手だったが入団と同時に遊撃へコンバートされる。2002年に一軍初出場を果たすと2004年からショートのレギュラーに定着。2012年のFAまでに1380安打を放った。
2011年にポスティングでメジャー移籍を目論みヤンキースと交渉するも控え扱いが気に召さず交渉決裂。翌年オフにFA宣言しアスレチックスと2年総額約6.5億円+出来高の「メジャー」契約を結び移籍した。
入団会見では「ハーイ、オークランド!ヒロと呼んでください」「ビリー・ビーンはクールでセクシー」などと言い絶好調だった。しかしスプリングトレーニングで怪我をしDL入り。5月に3Aサクラメントで復帰するも成績を残せずメジャー契約のクセにメジャー出場0でシーズンを終えた。
翌2014年はサクラメントですら打率.128の有様で2Aミッドランドへ降格。ここでも打率.266と低迷するとシーズン終盤にはインタビューに「本当に“何なの、この扱い”みたいなこともあった」 「中途半端にメジャーに上がるくらいなら上がらない方がいい」と答えるなど最初の勢いの良さは完全に無くなっていた。さらに左手首を骨折するなど2年のアメリカ旅行は散々なものになった。
近々相当額の契約で阪神入りするものと思われる。
MLB通算(2013~2014・アスレチックス)試合出場無し

これで終わりやで
見てくれた人ありがとう


97: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)22:20:59 ID:Nai

>>91
乙!


92: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)21:05:32 ID:FtY

最後にオチをつけってたなw


93: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)21:18:11 ID:HV0

ミネソタの金塊がいない、訴訟


98: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)22:29:43 ID:3GW

ヒルマンは元々肩に問題があったらしく、ロッテもヒルマン独自の調整を認めていた(シーズン200イニング投げていたのでさぼっていた訳ではない)
巨人の当時投手コーチの堀内はこれを認めなかった結果案の定ヒルマンは壊れた


99: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)22:31:44 ID:PzT

逆にぐう聖な外人ってだれ?


100: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)22:33:14 ID:j7c

>>99
BOW!