1: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2015/02/14(土) 06:06:38.58 ID:???*.net


息子から失意の報告を受けた親たちは、彼らの第二の人生に頭をめぐらせた。
人生の先輩として厳しく接する場合もあれば、あえて何も言わない時もある。そこにはそれぞれの、親子の物語があった。

「お疲れさんやったなあ」と

元巨人投手の辻内崇伸(27歳)の母・佳子さんは'13年秋、戦力外になったことを知らせてきた野太い辻内の声を、今でも鮮明に覚えている。

「電話がかかってきましてね。『クビになったから。明日、新聞に載るよ。プロで活躍できずに申し訳ない』と。
私は『お疲れさんやったなあ』とねぎらいました。あの年までの数年は、秋になると戦力外リストに名前が載っているのでは、と新聞とにらめっこ。
ドキドキしていました。
高校3年の夏、あれほど甲子園を沸かせたあの子でも、プロでは通用せんかったんやねえ。
戦力外はさびしかったけど、『もうドキドキしなくて済む』とほっとする気持ちもありました」

辻内は大阪桐蔭高時代、甲子園で国内左腕最速の156㎞を記録。松井秀喜以来の高卒で契約金1億円、
年俸900万円と破格の評価を受け、ドラフト1位で入団した。
だが、入団後は2度のひじの手術の影響もあり、8年間で一度も一軍登板できないまま、プロ生活を終えた。

25歳で迎えた第二の人生。パチ好きの辻内は現役時代、おカネの使い方が派手だった。
サラリーマンの父・伸詞氏は息子と、よく口論になったと言う。

「彼の年俸を月で割り、『使えるのはひと月これだけやで』と決めたこともあります。
それでも毎月、限度額を完全にオーバーする。ですから、戦力外になった後、まずその金銭感覚を普通のレベルに戻さないといけないと思った。
アルバイトでもいいから、汗水流して1回おカネを稼いでみろ、と話しました」

時給700~800円のアルバイトを勧めても、辻内はいろんな言い訳をしては、重い腰をあげない。伸詞氏が続ける。

「仕事を選ぶ時、内容より給料のいいところを探してしまう。最初、知人に紹介してもらった不動産会社に話を聞きにいったようですが、
その社長から懇々と『そんな甘い考えでは無理や』と言われたようです。
宅建の免許が必要だし、元プロ野球選手だからといって、すぐに契約がとれるわけではない」

再就職先の選択肢がどんどん狭まる中、道を開いてくれたのは、かつての恩師だった。
大阪桐蔭高の西谷浩一監督が女子プロ野球を指導する道を勧めてくれ、埼玉に拠点を置く日本女子プロ野球のイースト・アストライアのコーチに就任。
女子プロ野球を支援するサプリメント事業会社の正社員となった。まだ心配は尽きないが、佳子さんは言う。

「生きる世界が変わっても、人間同士の付き合いは大事にしてほしい。
プロ野球選手ではなくなって、これからもいろんな人に助けてもらわなくてはいけません。あの子も少しずつ、そのことがわかってきたようです」

辻内は現在、1日1000円の小遣い制。仕事の合間の食事は自宅でとるようつとめており、
こずえ夫人に毎日小遣いを要求することもない。辻内は両親への感謝を口にする。

「両親の存在はとてつもなく大きかったのだ、と家に戻ってはじめてわかった気がします。
女子選手17人を指導することも新しいことばかりで、毎日が勉強。世間を教わっています」

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150214-00042101-gendaibiz-bus_all
現代ビジネス 2月14日(土)6時2分配信


2: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2015/02/14(土) 06:07:52.57 ID:???*.net


元日本ハム投手の神島崇(36歳)は、福岡の東海大五高を卒業後、米国オハイオ州のインディアンヒルズ短期大学に進学。
先発、抑えで大活躍し、大学選抜にも選ばれた。

左打者キラーとして期待されて入団したが、一軍での登板は'01年の1試合のみ。
'03年に、わずか4年間の現役生活を終えた。当時、福岡県の宗像大社の神主をつとめていた父・定氏が明かす。

「崇が通っていた大学の監督さんは当時、大リーグの某チームのスカウトも兼任し、大リーグのドラフトにもかかる可能性があった。
ただ、崇が日本ハム行きを希望しました。入団2年目の沖縄キャンプでずっと一軍にいましたが、最終日にケガをして、一軍定着のチャンスを逃してしまった。

崇には、戦力外通告を受けるまで『神職になりなさい』という話はしたことがなかった。
ただ、戦力外になったとき、彼は24歳。神職を目指すために国学院大で学ぼうと思ったら、受験資格が25歳までで、期限が迫っていました。
崇は小さい頃から神社で遊ぶ環境にいてなじみやすい世界ですし、長い目で見て、一生続けていける仕事がいいと思った。
『もう一度、学校に行き直すか? プロ野球の荒波も経験したし、神職をはじめてみるのはどうだ』と受験をすすめました」

引退後、身近に第二の人生を生きる「受け皿」があっても、神島は簡単に踏ん切りをつけられなかった。

「戦力外通告を受けた直後は『まだ現役をやりたい』という気持ちはありましたし、神職になる気持ちもまだ芽生えていなかった。
打撃投手として球界に残れる話もあった。このまま野球を捨ててしまっていいのか……。相当悩みました」

約1ヵ月後、神島は神職になることをようやく決意する。
国学院大に合格した息子が入学するまで、定氏は福岡県内の自宅で連日、数時間の雅楽の特訓を施した。神島が当時を振り返る。

「父が昔からやっていた、雅楽で使う笛の一種である篳篥を中心に習いました。
国学院大に入学後は、朝から夕方まで東京大神宮で実習をし、夜に大学で授業を受ける生活でした。
東京大神宮は、神前結婚式が多く、雅楽ができないと困るのです。
入学してから覚えるのではなく、できるだけ早く馴染めるように、という父の配慮だったことを、後から知りました」




6: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2015/02/14(土) 06:10:50.89 ID:???*.net

'91年に千葉の名門・拓大紅陵高から入団。おもに中継ぎとして'99年には自己最多の30試合に登板。
同姓の小林幹英との継投は「あつかんリレー」とも呼ばれたが、その後は登板機会も減り、'01年に11年間の現役生活を終えた。

小林の父・憲一氏が約2年前まで厨房に立った「一つ木竹林草」は、総理になる前の安倍晋三首相や鳩山由紀夫元首相など著名な政治家が頻繁に訪れる和食店。
'83年から憲一氏が守り続けてきた店で、小林は引退後、すぐに修業を開始した。
師匠となった憲一氏は、息子だからこそ、余計に厳しく目を光らせた。

今まで手伝いでも包丁を握ったことのなかった小林に与えられた仕事は、皿洗い、力仕事、下準備のみ。連日、約15時間に及ぶ立ち仕事だった。

「自分も職人気質の、先輩から下駄で蹴飛ばされるような環境で修業しました。
30年以上、仕事の日は5時間以上、寝たことはなかった。息子は一から出直すわけだから、ずいぶん厳しくあたりました。

それで2年たった頃、息子が謀反を起こしたんです。
和食はイヤだと。息子は、包丁で簡単にさばけるような器用さがあったわけではなかったので、順を追って覚えてもらおうと思っていたのですが……」

小林にも言い分はあった。PCを使った顧客管理などを提案したが、自分のお客さんを確保している父は、昔からのやり方を変えようとはしない。
自分が生きる道は父の店ではないのではないか。そう考えた。
小林は数ヵ月後、タルトの名店「キルフェボン」に、修業の場を移した。憲一氏が振り返る。

「もう少し考え直したらどうだ、と説得しましたが、聞きませんでしたね。
もう少し、おだてながらやればよかったかな、という反省はありますよ。本当は、ウチの店を継いでもらいたかったんですから」

その後、小林はイタリア料理の名店にも勤務し、'11年4月から、代官山に「2-3Cafe Dining」をオープン。
父親と分野が違うが、同じ飲食店を営む経営者の立場となった。最近、ふと気づかされたことがある。

「今、僕がお客さんに対してやっていることって、結局父の真似なんです。どんなに忙しくても、常連さんがくれば会話もするし、飾り付けや盛り付けに手を抜かない。
父親と一緒にやっていた頃は『こんなに忙しい時は、そこまでやらなくてもいいのでは』と思ったこともあった。でも、それを本当に丁寧にやらないと、お客さんは来ない。

キルフェボンも衛生面やケーキを作る工程は、世界一と言えるほど安心で、安全だと思います。どうして厳しい修業が必要か、ようやくわかった。
料理の世界では、たかだか5年やったぐらいでは、一流にはなれない。あの頃は素直に言えなかったけど、やっぱり親父はすごいと思います」

元横浜で4番もつとめた古木克明(34歳)もまた、言われた時には気付くことのできなかった、父の言葉の意味をかみしめている。

プロ生活に11年間で見切りをつけた後、'09年12月から「プロ野球選手がまだ、誰もやったことのない分野のパイオニアになりたい」と総合格闘技に挑戦した。
再び野球の世界に戻り、プロを目指して、約2年間プレー。'13年に野球を引退するまで、一切両親には相談することなく、いつも自分で決め、両親に対しては事後報告だった。

「親が言っても、言うことは聞かないから」とは父・利明氏の弁だ。

建設会社の社長だった利明氏は、息子が小学校3年生で野球をはじめると、三重県松阪市内の自宅裏の畑の一部を整備。
ネットを張りナイター設備のある「息子の個人練習場」にした。しかし、古木のプロ入り後、古木が出場する試合が放映されても、映像は見なかった。

「(古木が)失敗したりすると、胸がギューッと突き刺さる感じになるから」



7: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2015/02/14(土) 06:11:18.37 ID:???*.net

しかも「総合格闘技にいくことにしたから」とひと言残し、電話を切られた。
格闘技に専念した約1年半もの間、古木は三重県の実家に姿を見せず、利明氏は未知の世界に身を投げ出す息子が心配だったが、「やめろ」とは言えなかった。

「これは父親の勘なのですが、格闘技が本当にやりたいこととは思えなかった。ただ、息子が決めた以上は見守るしかないから」

父親の予感は的中する。格闘技から再び野球界へ復帰をしようとしていた'11年頃、人知れず、古木は深い悩みを抱えていた。

「当時、信頼していた人に裏切られ、結婚していた家族ともうまくいかず、嫌な気持ちになる出来事が重なりました。
車を運転中に『高速道路でアクセル全開に踏んで、車ごとぶっ飛んで、そのまま死んでやろう』と考えたほど、追いつめられました。そんな時、父の言葉を思い出したのです」

利明氏は、古木がプロ野球を引退後、こう諭していた。

「人生、つまずいて、追いつめられ、悩みきったら、おぼろげに見えてくるものがある」

最近、古木は三重の実家に戻ると、父の趣味である釣りに黙って付き添い、伊勢湾で船に乗って、一緒に釣り糸を垂らす。

「僕は釣りがすごく好きなわけではない。でも、今は父と一緒に釣りに行くことが親孝行になるなら、ついていこう、と考えるようになりました」

 古木は現在、ビジネスに役立つ資格取得のため、都内にある専門職大学院に通っている。


12: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2015/02/14(土) 06:12:35.07 ID:???*.net


'93年にドラフト1位で阪神に投手として入団し、一軍登板がないまま、'99年に引退した安達智次郎(40歳)は、
戦力外通告を受けた日に父・孝四郎氏(故人)からかかってきた電話が忘れられない。

「『よかったやないか。肉、買おて来い。今晩はみんなで、すき焼きや』と。笑いながら、そう言ったんです。
入団以来、一軍登録がなかったので、戦力外になることは当然なのですが、それでも頭の中が一瞬、真っ白になった。
親にもしんみりされたら、こっちも余計辛かったと思う。
その晩、父はひたすら『鍋奉行』に徹してくれて、その味付けがやたら濃かった。野球のことは、おくびにも出しませんでした」

地元の兵庫・神戸村野工業出身。期待を一身に背負った左腕も、一軍登板がない期間が2年、3年と重なるうちに、周囲の空気が、期待から落胆に変わるのを肌で感じていた。

「クビになる前の数年は、ユニフォームに袖を通すのも苦痛でした。
ドラフト1位の十字架を家族にも背負わせて、親不孝しているような気がして、自己嫌悪に陥っていた」(安達)

家族の食卓で野球談議に花が咲いたことはほとんどなかったが、中学時代、安達がマウンドでピンチに陥ると、
孝四郎さんは決まってスタンドで敬礼ポーズをとった。

「その姿を見つけると、不思議なくらい気持ちがすーっと落ち着く。
あのポーズを見ると、『恐れるな、ドーンと行け』という父からの合図のような気にさえなっていました」(安達)

言葉がなくても家族だから伝わることがある。だからこそ、安達は第二の人生について、両親には相談しなかった。

「引退後、神戸・三宮で焼酎バー『Rocket Ball』を開きました。
いろんな人と酒を飲み交わしながら、互いの人生を語り合う中で、僕もようやく自分の野球人生をもっと誇っていい、と思えるようになった。
父は昨年11月、他界しましたが、今、しみじみと父の口癖だった『それでエエねん』という言葉を、胸の中で反芻しています」

プロ野球では通用しなかった。だが、傷ついて地元に戻ったからこそ、気づけたこともある。
そして父と母にとっては、彼らはいくつになっても「息子」なのである。

「週刊現代」2015年2月14日号より


132: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2015/02/14(土) 07:21:44.38 ID:/C3rtTvn0.net

>>1に挙げられている選手と比べる方が酷だよ。


272: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2015/02/14(土) 08:20:30.57 ID:T7fDDev60.net

>>1
気の毒に思えるけど契約金一億貰ってる人たちだからね


3: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2015/02/14(土) 06:08:03.10 ID:LkXnF22i0.net

そりゃみんな強豪校で天才扱いされたやつらの集まりですしおすし


472: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2015/02/14(土) 09:28:59.63 ID:zpRb7nUO0.net

>>3
そういうのだけが成功するわけじゃないみたいだぞ


14: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2015/02/14(土) 06:13:17.46 ID:KsSe6pEg0.net

この辻内って人と一流選手の違いって何なんだろうな
程度は違えど怪我は誰でもする訳だから、最終的には運なのか?


16: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2015/02/14(土) 06:15:04.93 ID:Z+5gXj4U0.net

>>14
コントロールが酷すぎる上に
変化球の制球力もない
挙句の果てに怪我して球速すらなくなった

使えるわけがない


512: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2015/02/14(土) 09:39:46.28 ID:Es2usq+q0.net

>>16
でもスカウトはわかっているんでしょ?
なんで引っ張ってきたの?


917: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2015/02/14(土) 12:46:01.86 ID:j6QucBwQ0.net

>>512
左腕で球が速いなら、制球さえまともになれば活躍できるから
でもそれが難しいんだけどな、自己管理とかそんなチャチな話じゃない
サンディ・コーファックスやランディ・ジョンソンのような史上最高級の左腕ですら
最初の数年はノーコン過ぎて使い物にならなくて見切られて放出されてる
まともになったのはコーファックスは25歳、ジョンソンなんか29歳で、それ以降は無双した
こういう例があるからスカウトが球の速い左腕に夢を見てしまうのは仕方ないと思う


35: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2015/02/14(土) 06:24:04.92 ID:1RSRWj390.net

プロ行っただけで化け物なんだから胸張って生きていけばいいと思うけど。


52: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2015/02/14(土) 06:30:12.95 ID:DoJyGH1L0.net

地方の天才では通用する世界ではない
弱小相手に無双しても意味が無い
辻内は自己評価の高さとスカウトの目が節穴だっただけ


59: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2015/02/14(土) 06:34:09.47 ID:yBAPYUZU0.net

まあ野球なんて学生時代は理不尽なシゴキにも耐えてプロになった所で
野球はそれ以上に努力しなきゃいけないとしたらそら大変だわなプロは


71: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2015/02/14(土) 06:42:28.33 ID:IbYeyab+0.net

こういうのでも紹介されないぐらいのやつが一番悲しい


81: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2015/02/14(土) 06:52:08.72 ID:UudN29c00.net

駒苫の林って今何してんだろう


143: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2015/02/14(土) 07:27:30.21 ID:VSSwIElm0.net

>>81
東芝行ってもう引退したんじゃないか


104: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2015/02/14(土) 07:03:24.25 ID:gD2tkF3s0.net

結局コントロールだからなぁ
高校大学まではど真ん中目がけて投げた剛速球がストライクゾーンに入ればなんとかなるし
変化球にもブンブン振ってくれるが
プロじゃいくら速くても甘い球は打ち返されるし
あからさまなボールになる変化球じゃ通用しない


107: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2015/02/14(土) 07:06:13.70 ID:zK4qK3e40.net

高卒ドラフト1位なら
球団が面倒みそうなもんだがな


165: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2015/02/14(土) 07:37:54.96 ID:m+d0AXBO0.net

>>107
一軍登板が一度も無いまま8年在籍させたのが
それにあたるんじゃないか


108: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2015/02/14(土) 07:07:31.65 ID:ZUZt2lpp0.net

そりゃプロは天才って言われた連中が集まる場所だし、そこで生き残った奴等と対戦だもん


157: vcv@\(^o^)/ 2015/02/14(土) 07:35:52.53 ID:/dtsYMBX0.net

これに関しては辻内だけが悪い訳じゃないだろう
巨人の指導が辻内に合わなかったのが一番じゃないのか?
辻内の良さを引き出す事が出来無かった巨人スタッフの責任はあると思う
大体巨人のドラ1になる程凄い選手が役に立たなかったってのは
ハナから評価が高過ぎたか、入団してから努力不足だったか
周囲に潰された・合わなかったか、運が悪かったか、マスコミの過剰報道で萎縮したか
その全てかだろう
一概に辻内だけが悪い訳じゃない

そんなんだからドラフト下位が活躍する事もある
これだって下位の評価が不当に低いだけだった(実は1位クラスの能力)か
入団したチームに合ったか、指導が嵌ったか、幸運だったか
コネとか人間関係が良くていい環境に恵まれたかだろう。

全ては人間のやる事だからドラフト一位だからって確実に活躍する訳は無いけど
活躍出来無かった理由はもっと深く掘り下げてもいいと思う。